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EP.33

 今日も海は朝から可愛かった。  泉帆は何度もだらしなく相貌を崩しているところを先輩に指摘されながらも勤務を続けていた。  午前中のパトロール中も問題はなし。肩がぶつかってしまったカップルの男の方に喧嘩を売られた程度しか問題は起きていない。  今日は迷子の老人もいない。落とし物もない。なんて平和な一日なんだ。これですぐに帰って海の蕩けるような笑顔を見れたら言うことなしなのだが。  海に揺り起こされ、その愛らしさに朝から襲いかかってしまったのは間違いだったかもしれない。結果散々搾り取られたが、あの魔性の小悪魔を朝から拝んでしまったことで顔のにやけが抑えられない。 「そういやお前と仲良いあの大学生の子、最近来てないんだよな」 「そうなんですか」  今うちで期間限定で同棲してますなんて言えるはずもなく、適当に濁す。  彼はあくまでも被害の相談者で、一線を引かなければいけないはずの相手だ。ストーカー被害は全て解決したけれど、そこに代わりはない。 「あんだけ顔良くてもゴツい男じゃなぁ。女子大生なら俺もお近付きになりたかったわ」 「あの子も可愛いじゃないですか、大型犬みたいで」  好きな人が貶されているような気がして、泉帆は少しだけムッとしてしまう。そこで泉帆が反応を示したことに驚いたのか先輩は何やら言っているが、泉帆はすぐに脳裏に今朝の海を思い返していた。 「みずくんお仕事行っちゃったら、おれひとりなの寂しい……」  一人なんて慣れているだろうに、いじらしい表情で服の裾を摘んでくるあざとさ。絶対にわざとだとわかっていてもなおノックアウトされてしまった。  あれは男を手玉にとる天才だ。すべてわかっていて計算尽くでの行動。理解していてもなお、恋愛経験がほぼ皆無な自分には刺激が強すぎる。  早く帰って甘やかしたい。でも自分は今24時間勤務の真っ最中で、明日の朝まで帰れない。  早く会いたい。以前のように、交番まで遊びに来てくれればいいのに。  嗚呼、でも来られてしまっては勤務時間中によからぬことを考えてしまうかもしれない。それは駄目だ。その欲求は我慢するしかないか。  またパトロールに出ることになり、自転車で巡回する。夏休み期間だからか通行する人々には若者が多い。小学生達とも挨拶を交わしながら移動をしていれば、通りの少し離れたところにあるカフェの方から何やら言い争う……というより、誰かが怒鳴る声が聞こえてきた。  確か海がいつか行きたいと言っていたカフェだ。何か嫌な予感がして近付く。 「どうせその顔で女取っ替え引っ替えして遊んでるんだろ?」 「そんなことしてない」 「どうだかなぁ? 昔から女と遊んでばっかだっただろ」 「なんでそんな、くだらない嘘……」  海と、……先程喧嘩を売ってきたカップルの男? 二人がどんな関係かはわからないが、海が一方的に因縁をつけられているのだとはわかる。  ひとまず、通行人もカフェの客や店員も注目してしまっている。怒鳴るように海を詰っている姿は恫喝にも見えるから、止める大義名分にはなるだろう。  泉帆は海の背後から近付き、背中にとんと優しく触れた。 「海くん」 「……ぁ、みずくん」 「通報があって来たんですが、……二人は知り合い?」 「お前には関係なくね?」 「一応警察なんで。海くん、大丈夫。ゆっくり話して」  触れた瞬間分かったが、海は震えていたようだ。背中を撫で、落ち着くように穏やかに話しかける。  海は、泉帆の声に少しは安堵したのか、男性をちらりと見ながら口を開いた。 「こないだ言った、……おにいちゃん」  この柄の悪い男が、海の初恋の相手? まさか、信じられない。泉帆が驚きを隠せないでいると、男も海がまさか他人に自分のことを話していたなんて知らなかったのか驚いているようだ。 「嗚呼、例の。よく話は伺ってますよ」  何処で聞いたのか、何故自分が聞いたのかは言わない。ただ自分は警察で、今も勤務中だから制服を着ている。通報というハッタリも効いたようだ。男は自分にとって都合の悪い方向で想像したらしく、悔しげに海を睨みつける。 「お前……」 「相談もされていたことですし、一度交番の方ででもお話伺いましょうか?」 「……っ、クソ、ユカ行くぞ」 「え、待ってよあたしまだ海くんにサインもらってない」 「いいから!」  男の隣で空気状態だった女性は腕を引かれ無理矢理連れて行かれる。  公衆の面前で海の性志向の話を暴露される前に逃げてもらえてよかった。泉帆は遠ざかっていく後ろ姿を眺め、海を見下ろす。 「海くん、平気?」 「……うん」 「……一緒に交番まで行こうか。落ち着くまで話し相手になるよ」 「ありがと。……おれ、女の人苦手なのになんであんなこと言うんだろうね」 「自分の都合のいいように海くんのことを周りに印象づけたかったんじゃない?」 「そっかぁ。お会計してくるからちょっと待ってて」  伝票を持ってレジに向かう海を見送り、周囲のまだ自分達に注目していた客達に頭を下げた。  もしまたあの男が現れたら、次はなんて話をしてやろうか。今日は驚きが勝り人目もあるからと自制できたが、次は何をしてしまうか、自分でも想像がつかない。  正義感の表れなのか、それともただ自分の愛する人を傷つけられた怒りなのか。  それは泉帆自身にも判断がつかなかった。

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