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EP.34
自転車を押しながら、海と他愛ない会話をしつつ交番へと戻る。先輩は先程まで話題に出していた大学生を連れて戻ってきたことで驚いていたようだった。
「おいおい、此処はみんなで仲良くおしゃべりする場所じゃないんだけど?」
「恫喝被害に遭っていたので連れてきたんです。海くん、落ち着くまで此処にいていいよ」
あれだけだと被害届を出せるかは微妙なライン。相談実績として残しておくような形で牽制できればという話を帰りがてら海とは話していた。
「昔はあんな人じゃなかったんだけどなぁ」
「君が小さかった頃?」
「そう。少なくとも、おれ以外の人に怒るところなんて見たことなかった」
「怒られてたんだ?」
「言うこと聞かなかったこともあるからねー」
全てにおいて服従させるようなやり方をして、完璧に飼い慣らす予定だったのだろうか。小さい頃の海があの男に屈服させられるところを想像して腹が立ってしまう。
海はふう、と息を吐き出し、俯きながら小さく笑った。
「遠くに行くって話だったから、会うなんて思わなかった。びっくりしたぁ……」
少しだけ震える声で笑う視線の先の手は、微かに震えている。余程ショックだったのだろう。
泉帆は、そっと海の背中に触れた。
「先輩、少し彼と二人で話をさせてもらえますか?」
「あー、わかった。弟分大事にしろよ」
自分に懐いていた子が傷ついているから慰めようとしているのだと思い込んだのだろう、先輩は快諾し交番の外へ。ガラス戸が閉められたことを確認してから、泉帆は海のすぐ隣に膝をつき顔を見上げた。
「彼と会ったのは偶然なんだね?」
「うん。パフェ食べてたら急に話しかけられて、誰だろうって思ったらお兄ちゃんだった」
「なら、そこで話しかけられて驚いてる間に同じ席に着かれてしまったっていう形かな」
「そうだよ。……おれにはもうみずくんがいるのに、奥さんもいるお兄ちゃんと二人で話すことなんてないもん」
あの男とは完全に切れていて、それなのに偶然会ってしまい詰め寄られたと。あのカップルは夫婦だったらしい。海が拒否をするよりも早く、あの男は向かいの席に勝手に座り、海に対して酷い言葉を浴びせかけたと。
「他に、嫌なことは言われなかった?」
「うーん……、……今は誰が俺の代わりなんだ、とかかな?
みずくんはお兄ちゃんの代わりなんかじゃないし、おれが誰かをお兄ちゃんの代わりだと思って生きてきたなんて思われるの、なんかやだよねぇ」
海の言葉は全て泉帆に真っ直ぐに伝わる。自分を想ってくれていて、自分だけを見ている。
泉帆は、まだ震えている手を握り、空いている手で頬をそっと撫でた。
「あの男のことはもう忘れていい。君にはもう俺がいるから」
「うん」
「怖がることもないよ。俺が守ってあげるから」
「……うん」
「君のことは、他の誰でもない俺が幸せにするから。俺に任せて、一緒にいてほしい」
「……みずくん、すき」
「俺も海が好きだよ。いきなりあんな怒鳴られて怖かっただろ、幾らでも泣いていいから」
泉帆はその状態で腕を広げ、胸に飛び込んできた海をしっかりと抱き留めた。ガラス戸の向こうにいる先輩は驚いたような表情を浮かべているが、泉帆が困ったように笑えばすぐ都合のいいように解釈をしてくれた。
「おれ、おれもう、お兄ちゃんのものじゃなくなりたい」
「海はそもそも誰のものでもないよ。俺の大切な人であって、誰かの所有物じゃないから」
「お兄ちゃんの顔見たら、言うこと聞かなきゃって、でも奥さんいるのに、なんでまだおれに話しかけんのって思って」
「今の海は可愛いし綺麗だから、欲が出たんじゃないかな。怖い言葉で支配すれば、海は言うこと聞くだろうとでも思ったんじゃない?」
所有物の証にピアスなんて歪んだ思考を持つ男の考えることなんてわかりっこないが、どうせそんなくだらない理由だろうなんて言いながら海を宥めるため背中をぽんぽんと優しく撫でてやる。
「せっかく、みずくんとデート行くならどこがいいかなとか、色々考えてたのしかったのに」
「そんなこと考えてくれてたの? 嬉しいな」
「なのに、パフェは気付いたら食べてなくなっちゃうし、おれまだ信じきれてないし、お兄ちゃんに会うし、変な噂になるようなこと言われるし、もう全部やだ……」
小さな子供のように駄々を捏ねる姿も可愛らしい。よくわからないことまで言い始めるそれを全て聞いてやり、適度に答えながら落ち着くまで待ち続けた。
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