5 / 21

リュドヴィックという男★

 無事オペラグラスを発見して戻り、セドリック卿に送ってもらって店に帰る。再び馬車に乗って帰って行くセドリック卿を見送った後で、ずっと胸に秘めていた怒りをあらわにした。  原因は劇場へとつながる通路で会ったあのリュドヴィックとかいう男。同世代か少し上にも見える長躯の男は、人前に出る仕事だけあってなかなかの美青年だったが、中身はどうやらアンリを下品な目で見てくる男どもと変わらないようだ。  もちろんアンリはそういう商売をしているのだから、性の対象として見られるのはむしろありがたいことで、本来ならば感謝すべきことだ。  だが、あの男はアンリにとって特別だった。  アンリが勝手に羨望を抱いていただけだと分かってはいるが、舞台の上でスポットライトに照らされ悲恋の哀切を歌い上げる様は、役を演じているとは思えないほどの迫真力で、聞いているアンリまで胸が苦しくなり、涙を誘った。  そして大団円を迎え、喜びを歌い上げる高らかな歌声はアンリの気分まで高揚させた。 (あくまでお芝居だって分かってるけど)  出来れば最後まで夢を見させてほしかった。少なくともアンリならば、客の前で感情を露わにしたりはしない。見送るまでが仕事だ。その間は決して私情を挟まないよう心掛けている。  確かに歌劇を見た後は少し陶然(とうぜん)としてしまったが、あんな失敗は今回一度きりだ。 「アンリ。次の指名が入ってるわよ」 「はいはーい」  店主に呼ばれ、アンリは自分の信念を裏付けるように気持ちを切り替えた。イライラする時間はしばし中断して、妖艶で明るい男娼を演じる。途端に客はアンリの魅力に酔いしれてベッドに押し倒し、しなやかな身体を暴きにかかった。 (あいつも近いうちに店に来るんだろうか)  ただ、今日は珍しくなかなか仕事に集中できずにいた。気がそぞろになりながらも、仕事内容は身体が覚えているらしく、男の上に馬乗りになって艶めかしく腰を揺らめかせる。 (出来れば来てほしくないな……)  現実を突きつけられてなお、往生際悪く夢を見続けていたいらしい自分の心が喚いている。次の瞬間、男が呻く声が下から聞こえ、中に体液がぶちまけられるのが分かった。 「あ……」  他所事を考えている間に客が達してしまった。ひとときとはいえ、自分はこの男の恋人なのに。罪悪感にかられ、アンリは男の上に寝そべった。両頬を包んで唇に触れるだけの口づけをする。 「もう一回しよ」  艶然と微笑むと、息切れしていた男が元気を取り戻すのが繋がった箇所から伝わってくる。若い男で良かったと内心ほっとしつつ、アンリは再び男の上で喉を反らして喘いだ。  花街は、例えるならば月下美人だ。日暮れとともに咲き乱れ、朝にはしぼんでしまう。そこで働く者たちは朝方から眠りに就いて昼過ぎに起きるのが常だった。  なんだか寝付けなかったアンリは、いつもより早くに目を覚ました。着替えを済ませて扉を開くと階下から賑やかな話し声が聞こえたから、早起きしてもビリだったらしい。自分は稼ぎ頭だからと言い訳をして、ダイニングに入る。 「あ、アンリ。来た来た」 「おそよう、アンリ。お客さんだぜ」 「は……? ……あっ!」  同性とはいえ女性と見まがうような美少年たちに囲まれて、肩身が狭そうな男を見るなりアンリは驚愕した。  昨日のオペラ歌手だ。当然だが衣装ではなく、かっちりと三つ揃いのスーツを身に着けている。 「アンリ」  ハンチングを片手に抱くようにして、据わりが悪そうにそわそわしていた男リュドヴィックは、アンリと目が合うとぱっと顔を輝かせた。  まるで救世主でも現れたかのような安堵の表情に苦笑してしまう。多分、アンリが目覚めるまで、好奇心旺盛な少年たちの質問攻めにあっていたのだろう。 「どーも、昨日ぶり」  とはいえルールを守らなかったのはリュドヴィックの方なのだから、アンリは悪びれることなく近づいた。  いったい何を勘違いしているのか、目を爛々(らんらん)と輝かせて見守っている男娼仲間たちを追っ払う仕草をする。しかし日ごろから理不尽な客に鍛えられている彼らは、堂々とその場に居座り続けた。 「やっぱりアンリの情夫(いろ)なんだ」 「えー、アンリってばこんなイケメンさんどこで捕まえたの? いいなー」 「おにいさん、こういうお店の利用の仕方、知らなかったの?」  うるさい小鳥のさえずりをかき消すように、わざと大声で聞く。リュドヴィックははにかんで笑い、思いがけないことを口にした。 「私は君と一夜を共にしたいわけではないんだ。客としてではなく一人の男として、君と話したい」  さすがは演者。歌に乗せなくとも放つセリフが情熱的だ。直後に、近くから複数の声にひやかされる。 「うっせぇ!」  声を荒らげ一喝しても彼らはどこ吹く風だ。聞き耳を立てるのをやめるつもりもないらしい。  ふてぶてしい彼らを睨みつけるが、アンリも別の男娼が同じように営業時間外に男を連れ込んだら同じように囃し立てるだろうから、あまり強くは言えなかった。 「あのさ。軽蔑(けいべつ)するかもしれないけど、あいにくと俺はそれを生業(なりわい)としてんだわ。つまりさ、営業スマイルとか満足いくサービスが欲しかったら、仕事中に来てくれないと困るわけ。そんで俺は寝起きが一番機嫌が悪いだよな」 「そんなものはいらない。へそを曲げていても構わないよ。私は君が覚えてくれていたことが嬉しかったんだ。あんな……つかの間の出来事を」 「……は?」  頬杖をついて、面倒くさいという気持ちを隠すこともなくつっけんどんな態度を取っていたアンリは、意外な言葉に男を見遣った。 (あ……)  男の、純粋な喜びを湛えた微笑で、アンリは自分の勘違いに気が付いた。 「うそ。昨日のあれ……まじだったの?」  てっきりナンパの常とう句かと思って調子を合わせてしまったが、感動すらしているように見える男の様子に、みるみる血の気が失せていく。 「え……?」  アンリのぎこちない返答に、男のぽかんとした表情が返ってきて、アンリはようやく事の重大さに気付いたのだ。  リュドヴィックの昨夜の言葉は、アンリをたぶらかすための甘言などではなかった。まして演技でもなく、男は本当に以前どこかでアンリと遭遇していて、素直に再会を喜んでくれていたのだ。 (やば。やっちゃった……)  アンリはその手に誘いに慣れすぎて、感覚がマヒしてしまっていたのだ。辛い生い立ちから物事をひねくれてとらえる悪癖も味方して、リュドヴィックをぬか喜びさせてしまった。

ともだちにシェアしよう!