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すれ違いの果てに

 リュドヴィックは眩しそうに目を細め、すっかりひん曲がったアンリを浄化するかのようなピュアな眼差しを送ってくる。  気分はまるで判決を言い渡される罪人だ。いやあるいは、断頭台に向かう囚人だろうか。どちらにせよ最悪な気分だ。 「あの、さ……悪いんだけど、」  口角をひくつかせてどうにか笑みを浮かべながら、アンリはすべてを打ち明けた。目の前で驚き、それから落胆へと変わっていく表情が胸に痛い。周りからはアンリを咎めるブーイングも飛んでくるが、返す言葉もなかった。  これは十中八九、いや百パーセントアンリに非がある。 「……そうか。そうだったのか」  きっとアンリと思い出話に花を咲かせようと嬉々としてやってきたのだ。その気持ちを踏みにじってしまった。 「ご、ごめんな……」  罪の意識に耐え切れず、再度謝る。リュドヴィックは、ぎこちなく笑ってかぶりを振った。 「ううん。いいんだ。あんな一瞬の事を憶えている方が奇跡だよ」 「……俺はそれを憶えてねんだけど、そう言ってもらえると助かる」  仲間たちは今だ非難ごうごうだったが、ひとまず本人には許してもらえてほっとする。 「それにね。私が君に会いに来たのは過去を懐かしむだけが目的ではないんだ。君にお願いしたいことがあってね」 「お願い? なんだ?」  罪滅ぼしの機会を与えてくれるのなら、言葉通り何でもしようと意気込み前のめりになる。 「うん。実はね。君をスカウトしたいと思うんだ」 「スカウト……?」  聞き間違いかと疑いながら、重要な部分を反芻する。リュドヴィックは、悪意の全くない笑顔を浮かべて頷いた。 「君の歌声は素晴らしい。ぜひうちの歌劇団に加わって欲しいんだ」  数秒の静寂のうち、部屋の中が少年たちの驚愕の叫びで満たされた。「スカウトってなに?」「アンリって歌うまかったの?」「ていうか、この人劇団の人だったんだ」男娼たちは餌を待つひな鳥のようにひっきりなしにおしゃべりを続けている。 「はいはい。あんたたちはちょっと落ち着きなさい」  皆が口々に話し始めて収集が付かなくなってしまったところに、ミトンの付いた手で湯気の立つ寸胴鍋を持った店主、エティエンヌが現れる。  彼女はまるで大家族のお母さんのようにてきぱきと男娼たちに指示を出して、普段よりワンセット多く皿を持ってこさせると、客人であるリュドヴィックの分も取り分けて、朝食兼昼食が始まった。  信じてもいない神様に一応祈りを捧げてから、それぞれが空っぽの腹を満たすためにカトラリーを手にした。  アンリもトマトスープの中でほろほろになった羊肉を口に運ぶ。ちょっと癖のあるラム肉はアンリの好物のはずなのに、今日はあんまり味が分からなかった。落ち着いて食事を楽しめるような心境ではない。 「さて、と……」  ワイングラスに入っているためどう見てもワインなのだが、本人曰くぶどうジュースを波立たせながらエティエンヌは正面の座席に向かって話を切り出した。  そこにはアンリと同じくトマトスープを口に運ぶリュドヴィックがいて、大事な話と気付きスプーンを置いた。 「この子が欲しいなら、話をつけるべきはまず主人の私だと思うけど、そのあたりはどう考えているの?」  台所にいて数人分の料理を作っていたはずなのに、食堂でのやりとりにはしっかり聞き耳を立てていたらしい。びっくりして思わず「地獄耳」と呟いてしまうと、隣から脛をつねられた。  ただつままれただけでも痛いのにそのままスイッチがごとく捻られたものだから、悲鳴も出ないほどの激痛に襲われた。震えながら痛みが治まるのを待っている間に、リュドヴィックが応える。 「それではアンリの意思を無視することになります。私はあくまでアンリの意思で、私たちの所へ来てほしいんです。アンリに私を選んでほしいのです」  情熱的な一言にまた男娼たちが色めき立つ。仕事柄、こんな歯の浮くようなセリフは聞き慣れているだろうに、こうも逐一ざわめくのは今がオフだからだろうか。 「アンリはね。うちで一番人気の男娼なの。本性は生意気ながきんちょだけど、外面はいいものだからね。みんな、コロッと騙されちゃうのよ」 「おい、なんだその悪意しかない紹介は」 「あら、ほんとのことでしょ? だから、この子が欲しいって言うなら相応の金額がいるわ。あなたそれ工面できる?」 「私の全財産をつぎ込んででも」  彼にどれほどの財産があるのかは知らないが、貴族でもない彼の年俸などたかが知れている。そんなはした金ではアンリを買うことは出来ない。  噂を聞き付けた貴族が倍の値段でアンリを買ったら、アンリはきっとそちらに売られてしまうだろう。セドリック卿のような優しい老爺ならいいが、もしもサディストの客だったらと思うとぞっとする。 「そう。ま、そこまでの情熱があるなら私は止めないわ」 「はあっ?」  アンリは耳を疑った。この三度の飯より金が大好きな守銭奴の金の亡者が、労働者階級の全財産などに目が眩むなんて。まさか夢でも見ているのかと疑うが、さっきつねられた腿は未だじんじんとしびれている。  ならばエティエンヌがおかしくなってしまったのか。ハーブの使い方を間違えたのか。混乱のあまり様々な可能性が頭に浮かぶが、その間に二人の会話は進んでしまう。 「ほしかったら、全力で口説き落としなさい」 「ありがとうございます!」 「いや、行かねえから」  さっき、アンリの意思を尊重したいと言った舌の根も乾かないうちに勝手な事を言うなと、リュドヴィックを白い目で見る。しかしやる気に満ち満ちたリュドヴィックには視線の意味など通じるはずもなかった。 「アンリ。私は必ず君を手に入れるよ」 「なら、早速今晩から予約を入れちゃう? この子人気だから、競争率が高いのよ。予約となると追加料金になっちゃうけど、いいかしら?」 「お支払いします」  金額も聞かず、二つ返事で頷いてしまうリュドヴィックの懐事情が心配で仕方がない。  もしや、店主はこの純朴な青年から有り金を巻き上げようとしているのだろうか。そこまで外道ではなかったはずだが、金銭が絡むと否定しきれないから困る。  とにもかくにも、アンリはこの日からリュドヴィックのしつこい勧誘を受け続ける羽目になった。

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