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解決

「どう、して……?」  様々な疑問が一息に押し寄せて、アンリはただ呆然と呟いていた。どうしてセドリック卿がエティエンヌとともに居るのか。そもそもエティエンヌはどうして歌劇場にいるのか。  エティエンヌはぽかんとしているアンリを一瞥して微笑んだ後、地面にはいつくばっているブリックス卿を冷めた目で見下ろした。 「殺人未遂に傷害罪。立派な犯罪者ね。ブリックス卿」  ブリックス卿は意識こそあるものの、喋ることは出来ないようだ。  ただ、悪魔の形相でエティエンヌを睨みつけている。怒りのままに掴みかかってくるかと思われたが、それより先にエティエンヌの合図で現れた警察官によって取り押さえられた。 「残念だけれどね。あんたが買収した係員は変装したお巡りさんだったのよ。あんたが未だにアンリに執着していることは分かっていたから、あんたに話しを持ち掛けられた段階で私たちに教えてくれたの」 「エティ、あまり近づかないで、危ないよ」  取り押さえている二人の警察官とは別に、くたびれたキャメルのコートを着こなす壮齢の男が現れ、エティエンヌを庇うように立った。 「ありがとう。ダーリン。相変わらず頼もしいわ」  金にがめつい本性を知るアンリですら、ぞくりと肌が粟立つような妖美な笑みを浮かべ、エティエンヌがコートの紳士にしなだれかかる。  アンリもこの仕事が長いからだろうか。かつての客なのだろうと簡単に予想がついてしまう。服越しにも鍛え上げられた肉体美が分かる頑強な男が、へにゃへにゃと締まりのない笑みを浮かべているのがその証拠だ。 「没落しかけていたところに海外からお嫁さんをもらって持ち直したから、奥さんに頭があがらないのも分かるんだけれどね。だからって手ごろな男娼相手に八つ当たりをしてはいけないわ。私たちはサンドバックでも、操り人形でもないのよ」  反論出来ないのをいいことに、エティエンヌは畳みかける。 「うちの可愛い子を二度も怖がらせた罪は重いわよ。しっかり反省して、更生してから出てきたって、もう二度とうちの敷居はまたげないと思ってちょうだい」  最後にトドメを刺すエティエンヌは、女神のように美しい微笑を湛えた。 「まあ、出所後に貴方にそんな金銭的余裕があるとは思えないけれど。夫婦生活はずいぶんご無沙汰なのに、おとこのこに熱を上げてたって知って奥さん大層ご立腹よ。三下り半を突き付けられないよう、精いっぱい奥さん孝行しなくちゃね」  つらつらと立て板に水の勢いで告げる内容は、鳥肌が立つほど残酷な物だった。だが、すべてブリックス卿の自業自得である。  それにしても奥さんの話題がよほど効いたのか、あんなにも殺意に満ちていた形相が急に青ざめ、抜け殻のようになってしまった。警察官にも大人しく連行されていく。 「さて、次は貴方ね。早く治療してもらいなさい」  コートの男の頬にキスをしてから見送ったエティエンヌがリュドヴィックに目をやった。 「はい」 「リュドヴィック。ごめん。俺の所為で……」  リュドヴィックの腕にはまだナイフが刺さったままだ。おかげで出血は少ないが、ずっと激痛と異物感に苛まれているに違いない。  アンリは無意識にリュドヴィックを求めてしまったが、自分のその考えなしの行動の所為でリュドヴィックにけがをさせてしまった。 「大丈夫。これで、あの時助けてもらった借りを返せたんだから、お互い様だよ」 「リュドヴィック……」  それどころではないだろうに、またじわじわと涙が滲みだしたアンリの頭を慰めるように撫でてくれる。その彼らしい優しさにむしろ涙を誘発された。 「近くに病院があるが……医師を呼んでくるかね?」 「ご心配には及びません。歌劇場内には気分が悪くなったお客様の為に医師が常駐しておりますので。医務室にいらっしゃるとおもうので、診てもらうことにします」 「じゃあ、私たちも医務室へ行きましょう。貴方も一緒に聞いてもらいたいことがあるの」  エティエンヌのこの言葉で、アンリたちも医務室に向かうことになった。正直、ありがたい。リュドヴィックの怪我が心配で、離れたくなかったのだ。近くに居ても何もできないが、それでもそばに付き添っていたい。  医務室の医師は、突然腕にナイフを刺して現れた座長を見てぎょっとしていたが、迅速に対応してくれた。手際のよい処置のおかげで、リュドヴィックの腕のナイフは抜かれ、代わりに包帯が巻かれている。  包帯を巻いてくれた医師が器具の消毒の為に席を立ったところで、エティエンヌはリュドヴィックにも聞いてもらいたい話を切り出した。 「単刀直入に言うけど、アンリ。貴方の買い手が見つかったわ」 「……は?」  リュドヴィックの処置も済み、痛み止めも処方してもらってこれで一安心と思っていたところに、新たに衝撃的な事実を告げられた。 「え……? な、何言ってんだよ。買い手ってそれ……。何かの冗談だろ? それか、新規の客か?」  わざと茶化してみるが、エティエンヌは真面目な顔つきのままだった。その表情こそがアンリに事実なのだと突き付ける。  買い手が見つかったということは、店に来て一時遊ぶだけの関係ではなく、買い手の家に(大半が養子となって)住まい、専属の慰み者になるということだ。  相思相愛ならば幸せなことなのだろうが、アンリの場合、それはあり得ない。だって、アンリの恋しい人に、そんな財力はないのだ。  アンリは愛する人を想いながら、見知らぬ飼い主の気の向くままに抱かれなくてはならなくなる。  とはいえエティエンヌに悪意はないだろう。何しろ、アンリに懸想する相手がいることを彼女は知らないのだ。リュドヴィックを知る前のアンリならば、これも仕事だと受け入れたかもしれない。だが、今は……。 「それは取り消すことはできないんでしょうか」  診察台に横になっていたリュドヴィックが身を起こした。アンリは慌ててリュドヴィックを押し止めようとする。 「だ、ダメだ。リュドヴィック! 寝てないと!」 「大丈夫だよ。アンリ」  だが、どこか余裕のない笑みをみていると、心配せずにはいられなかった。 「取り消すことは出来ないけれど、上書きすることは出来るわね。ただし、買い手以上の金がいるわ。もちろんその場で一括支払いでね」 「そう。そうなんだ。……だから、」  リュドヴィックが眠気に抗うために起き上がろうとしているのは、今でもアンリを歌劇団に招き入れたいと考えてくれているからなのだろう。  気持ちは嬉しい。アンリだって、出来ることならリュドヴィックと一緒にあの素晴らしい歌劇を作りあげる一員になりたい。  でももう、それは、叶わぬ夢なのだ。アンリはリュドヴィックと一緒に歌うことは出来ない。 「もう、俺の事は諦めてほしい」  

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