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第3話

東堂(とうどう)家の嫡男、東堂馨(とうどうかおる)は若くしてホテル経営の大手、東堂グループを担う優秀な人材である。 就学中も仕事はしていたが、学業を終え本格的に経営に参加すると途端に頭角を現した。 高級住宅街の一端にある、森と言えるほどの大きな敷地には、中世ヨーロッパの古城のような屋敷が建っている。 そこには馨と両親の東堂一家と、数え切れない程の部屋を管理する使用人達が暮らしている。 レオは馨に拾って貰った日から、そこに住むことになった。 与えられた自室で、真新しい制服に身を包み準備を終えると、絨毯敷きの階段を降りる。 そのまま食堂へ行くと、レモンと茶葉の爽やかな香りがした。 馨が新聞を読みながら紅茶を飲んでいる。 昨夜は馨の部屋で一緒に眠っていたのに、馨はいつ先に起きたのだろう。全然気がつかなかった。 組まれた長い足。漆黒の髪。伏せた睫毛から覗くアメジストの瞳。カップを持つ指さえ、全てが美しい。 また今日も馨に見惚れてしまう。許されるのならば永遠に眺めていたいものだ。 「馨、おはよう」 初めての制服の披露に、もじもじとしながら声をかけると、馨は新聞から目を上げて嬉しそうにした。 「おはよう。やあ、似合うな。ついにレオも高等部か。ついこの間まで赤ん坊だったのに、成長はあっという間だな。その調子で早く大人になっておくれ」 「もう僕、子供じゃないよ」 ウインクでもしそうなほど陽気に言われ、レオは不満を滲ませて尻尾で床を軽く叩いた。 いつになったら、一人前と認めて貰えるのだろう。 馨が拾ってくれた歳にやっと追いついたと思ったら、馨はもっともっと遠い存在になっていた。 早く馨に追いついて、もっと彼の役に立ちたいのに。 「おいで」 長く大きなテーブルの馨の隣に腰掛けた。 控えていた使用人が、すぐにパンとスープを出してくれる。 馨はフルーツの盛り合わせからブルーベリーを一粒摘まむと、レオの唇に押し当てた。 それを口に含み咀嚼する。 貰う時、馨の指にちょっと舌が当たってしまったため、頬を赤くしながら甘酸っぱさを味わった。 馨はもう一粒摘まむと、自分の口に放り入れてからその指を舐めた。 舌が指を這う。その艶めかしさに、レオは食い入るように見つめて唾を飲み込んだ。 間接的な接触を、まるでキスでもしてみたいに妄想してしまい恥ずかしくなった。 「制服ありがとう。僕もう働けるのに、進学させてくれて。必ず恩返しするからね」 肌触りの良い高級な制服。進学先は、上流階級だけが通える学園だ。幼等部から高等部まで一貫校であり、馨も卒業した学校である。 中等部で辞めるつもりだったのに、また学校に通うことになった。 「スポンサーは俺じゃなくて父上だよ」 「でも、僕が進学できるようにおじ様に口添えしてくれてのは馨でしょ? ありがとう。僕はずっと馨に頼ってばかりだ。 でもね、僕は頼りないかもしれないけれど、馨の為なら何だってやるよ」 肩口におでこを擦り付けると、馨は肩を竦めた。 「俺はレオが側にいてくれるだけで十分なんだよ。 毎晩、癒しに来てくれるだろう?」 違う。 癒して貰っているのは自分の方だ。寂しくて馨が恋しくて、毎夜布団に潜り込む。 馨はレオの頭の上に生える耳に唇を寄せた。息がかかり擽ったくて、耳をヒクヒクと動かした。 「白銀の毛並みに灰色の斑点。美しい雪豹の獣人。深いブルーの瞳と目が合ったとき、俺は天使に出会ったと思った。 さっきはからかったけど、レオはもう一人で生活できるほどに成長しているよ。 俺はね、いつレオがここに飽きて旅立ってしまうのか不安で仕方ないんだ。俺だけの籠に閉じ込めておけたらどんなにいいことか」 「そんな…!」 そんなのあり得ない。 馨は捨て子の獣人を拾い、無償の愛を注いでくれた。 本来ならばレオは段ボールの中で死ぬはずだった。 運よく助かっても、獣人が人間より下等とされる今の世では、こんなに満たされた生活は送れなかっただろう。 「僕が馨から離れるなんてあり得ない。馨が傍にいないと呼吸も忘れてしまうほどなのに」 「ああ、レオは本当に可愛いな」 ゆるく頬を緩めた馨に抱き寄せられると、喜びが花の香りとなってレオの全身から噴き出した。 食堂に甘い匂いが充満し、馨はレオの死角で恍惚の表情を浮かべた。 (ずっとずっとこの腕の中にいたい) 出会ったその日から、ずっと願っている。 どこにも行けないように、縛って閉じ込めてくれればいいのだ。馨といられるのならばそれでも幸せだ。 ふわふわと撫でられる手に酔いしれながら、何万回考えたかわからない願いを、心で唱えた。

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