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「できたよ。行こうか」 「うん」  オレは冬馬の少し後ろを歩き、彼の背中を見つめた。 ( 覚えて……ないのかな…… )  あんなに熱烈なプロポーズをしてくれたのに、覚えてないんだ。何処かで当然覚えているだろうとでも思っていたのか、オレはかなりがっかりしている自分に気づく。  しかし、直ぐに思い直した。 ( けっこう前だし、仕方ないか。それに、オレのこと女のコだと思ってたんだから。あれは、無効だな )  なんでこんなにもがっかりしているのか、自分でも不思議に思ったが、そのことについては深く考えはしなかった。 ( 覚えてなくても、いいや )  ── この時から、ずっと、この紅い組紐をつけている。でも、その意味に自分自身が気がつくのは、もっと先のことだ。 **  初等部に入学した年の夏休み、橘家所有の別荘に招待された。それは深い緑の中にあり、別荘というには、やけに大き過ぎる屋敷だった。その年は橘・柑柰、両家族が全員揃い、賑やかな夏を満喫した。  屋敷から少し離れたところに、それ程大きくない沼があった。木々の間から夏の陽が射し込んで水面は煌めいていたが、水際に立って覗くと、仄暗く水底は見えない。 「ここは水もえらい冷やこいし、見た目よりずっと深いし。入ったらあきまへんえ」  そう冬馬の母親は言った。優しくゆっくりとした喋り方だが、有無をも言わさないものを感じた。  オレと冬馬はよくそこで遊んだ。親の言いつけを守り、沼には足や手で水に触る程度にした。初めのうちは誰かしらが付き添っていたが、そのうちふたりだけで来るようになった。オレにはそこが、もうひとつの“秘密基地”のように思えた。  それから毎夏、誰かしら欠けることはあっても、両家でこの別荘に訪れていた。 **  初等部最後の夏。  前の年の夏は、カンナ交響楽団(シンフォニー)の海外演奏の為、柑柰家の方はここへ来ることができなかった。  一年空けて、またこの森の中の屋敷に訪れるが、この夏はいつもと少し違っていた。歳の離れた冬馬の姉に送って貰い、皆が揃うまでの五日間を冬馬とふたりきりで過ごすことになったのだ。冬馬の提案だった。  冬馬の姉はオレたちを送るととんぼ返りしなければならない。鍵を開け、屋敷内をざっと確認すると、駐車してある車に戻った。 「本当にあんたたちだけで大丈夫?」  見送りに出たオレたちに少し心配そうに言う。 「大丈夫だって」  冬馬は自信満々だ。流石に自分から言いだしただけのことはある。 「急いでるんだろ。早く行きなよ」 「まあ、あんたがそう言うなら、大丈夫ね」  彼女はひとつ小さく息を吐くと、車に乗り込み発進させた。  

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