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カンナさんの顔が凍った。
それは、そうだ。今日会ったばかりのこんな子どもに、下手すれば小一くらいにしか見えないガキに、いきなりそんなことを言われたんだから。
その顔を見て、ハッと気がついた。大事な言葉が抜けている。
( これじゃあ、ピアノをやめろって言ってるみたいだ )
俺は慌ててつけ加えようとしたが、夏生に口を塞がれてしまった。
「ごめん、カンナちゃん」
夏生が謝る。
( なんで、夏生が謝るんだっ )
俺は自分の言葉の足りなさにも、遮って勝手に謝った夏生にも、深い憤りを感じた。
「うん。そうだな」
彼は俺の身長に合わせ前屈みになり、じっと眼を覗き込んだ。
「オレもそう思うよ」
カンナさんは微笑んだ。
とても綺麗で、とても哀しげな微笑みだ。
その一言でもう何も言えず、俺は夏生の手を逃れ、その後ろに隠れた。
あれ程会いたいと思っていた人に、初めてこんなに間近で会うことができたというのに、あんな哀しい顔をさせてしまうなんて。
今はもう声すら聞いてはいけないような気持ちになった。何事もなかったように話し始めたふたりの傍を、俺はそっと離れ客席に戻った。
その後の演奏のことは何も覚えていなかった。
**
クリスマスが過ぎ、年が明け、少しずつ春の匂いがするようになっても、あの窓はひらくことはなく、あの音色は耳に届くことはなかった。
四月になり、俺は初等部の四年に進級した。あの人は高等部になった筈だ。
進級して数日後。
「ねぇ、ねぇ。そういえば、カンナさん音楽院をお辞めになったそうよ」
そんなクラスメイトの言葉が耳に入ってきた。新しいクラスにも音楽院の生徒が何人かいる。
「知ってますわ。楽団の方もお辞めになったとか……」
「もう、ピアノはお弾きにならないのかしら。残念ですわ。わたくし、ファンでしたのに」
( 音楽院を辞めた…… )
頭を思い切り殴られたような気がした。それは本当か、と問い質したいのをぐっと堪えた。
( 夏生に聞こう )
俺は放課後になるのを待った。
帰りの学活を終えると、夏生の部屋へ急いだ。ノックをしたが応答はなかった。
小学生と高校生では、放課後の過ごし方にも差が出るだろう。いつ戻って来るのか分からないが、俺はとにかく待つことにした。どうせ部屋に戻っても何もする気も起きない。
実際に待った時間は分からないが、感覚的にはずっと長いこと待っていたような気がする。
「ハル」
と、夏生の声がした。
「会うの、久しぶりだな」
そうだった。あのクリスマス・コンサートの後、夏生に対しても気まずくて、ここには一度も来ていなかった。
正月恒例の親類の集まりにも、何だかんだ理由をつけて行かなかった。
しかし、今はそんなことには構っていられない。
「夏生、あの人、ピアノをやめたのか?」
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