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 ふと、視線を感じて顔をあげると、少し離れた場所にシウさんが立っていた。  両手の親指と人差し指で四角を作り、俺をみていた。ファインダーのつもりだろうか。 「シウさん」  彼はブラックフォーマルに身を包み、何処かやつれた様子で、微かに微笑んだ。  不幸があったのだろうか。その姿にいつもと違う色気を感じて、不謹慎にも心臓が大きく波打ってしまう。 「待たせたみたいで、悪かったな」 「いえ……俺が早過ぎただけなんで」  心の内が漏れないように、殊更抑えぎみで答える。  鍵を開けて中に入るシウさんの後をついていく。そのまま階段を上がり、二階へ。階段から一階の様子が見えた。機材などが置いてあり、そこはスタジオになっているようだった。  二階はソファーセットと、パソコンの載ったデスクがあり、事務所になっているようだ。そうすると、三階が自宅ということになるのだろうか。  シウさんは疲れたように深くソファーに腰かけると、テーブルの上にあった紅い組紐を手に取り、いつも通りハーフアップに結った。 ( あ……そうか。服だけじゃなくて、髪形も )  聖愛の頃からそうだった。ライトブラウンの綺麗な髪を、常にその紅紐で結っていた。  今はだいぶ色褪せてしまったそれは、彼が身に纏うものにしては、唯一異質に感じるものだった。 (しなくてもいいのに)  何もとっかかりのないその髪に指を差し入れ、さらりと梳いていみたい。そんな衝動に駆られる。  それを誤魔化すように。 「いつも、それ、してますね」 「大事なものなんだ、すごく」  彼は蕩けそうに甘く、切ない声で答えた。  それだけで、理解した。たぶん、この紅紐はあの男から貰ったものなんだ。 「ハル……悪い、ちょっと休ませて。やっぱ、オレ、疲れてるみたい」  無意識なのか、そっと身を寄せてくる。俺は暴走しないように、きゅっと身を縮ませて、僅かに隙間を作った。 「いいですよ。俺、この後特に何もないんで。いくらでも待ちます」  平静を装うその言葉は、もしかしたら、かなり棒読みだったかも知れない。  黙って理性を総動員している俺に、彼は言った。 「ねぇ……ハル、ぎゅっ、してくれる?」 「 ── ぎゅっ?」  シウさんが何を言いたいのか、まるで頭が働かなかった。 「こうだよ」  固まったままの俺の背に両腕を回し、ぎゅっと抱きついてきた。  酔ったシウさんを運んだことはある。でも素面の、しかも彼から抱きつかれたのは初めてだ。 ( これは……ない )  暴走しそうだ。  霧散しそうな理性をもう一度引っ張り戻し、なるべく自分を刺激しないよう、緩く抱き留めた。  

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