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**  俺は、シウさんを彼のベッドまで、横抱きにして運んだ。軽々とまではいかなかったが、以前酔ったシウさんに肩を貸した時より苦ではなかった。  自分もその頃より力はあるし、何よりシウさんが軽くなってしまっているのだ。  寝やすい用に上着は脱がせ、タイも抜いた。髪を結ってあった紅紐は、運んでいる間に引っ掛かって俺の手に残った。  上掛けをかけ、俺はその部屋を出た。  引き返せば、まだパーティーはやっている時刻。いや、当初の目的は果たしたのだ、家に帰ってもいい。  俺は小さく溜息をついた。 ( やっぱり、このまま放っておけないか )  俺は隣のゲストルームらしい部屋を、勝手ながら使わせて貰うことにし、整ったベッドの端に座った。  眠ることも出来ずに、ただ手の中に残った紅い紐を見つめた。  『大事なんだ』と言ったシウさんの声が脳裏に浮かんだ。 ( たぶん、橘冬馬から貰ったもの )  俺はその紅紐をぎゅっと手に握り込んだ。  会えなかった間、平静を保っていた俺の内の黒い水が、再び波立つのを感じた。 ( シウさん……気がついたのか )  隣の部屋から聞こえてきた呻き声と物音に、意識が浮上した。腕時計を見ると、午前四時。  俺は相変わらずベッドの端に座っていた。そのまま寝てしまったのか、それともただぼんやりしていただけなのか、自分でも分からない。  とにかくこんなに時間が過ぎていたことに、初めて気がついた。  他人の部屋を訪れるにしては憚られる時刻だが、シウさんのことが心配になり、俺は隣の部屋のドアを小さめにノックした。遠慮がちに声をかける。  応答があり、ドアを開けたものの、入って行って顔を合わせて良いものかと、そこで再び躊躇した。  シウさんが指先で俺を呼ぶ。  俺はやや身体を強張らせながら、静かに歩み寄った。途中で、カサッと足先に何かが触れ、それを拾い上げる。 ( さっきは気がつかなかった……これって…… )  俺はサッと近くのパソコンデスクの上に、を置き、シウさんの前まで行く。  彼が気を失っていた間の状況を説明した。  心配していたより、普通に話をして貰え、少しホッとする。俺はこのまま泊まらせて貰うことになり、シウさんから数歩離れ ── 。  そして、気がついた。  俺はまだ、を手に握り込んでいることに。 **   「それ返せよ」  今までにないくらいきつい声と、きつい瞳。  なんでそんなに、必死なんだ。  こんな紐ひとつ。  初めは、ただ普通に返すつもりだった。  掌に載せた紅い組紐に、さっと顔色を変え、その手を小刻みに震わせている、そんなシウさんを見るまでは。  それを掴もうとした手を拒み、ぎゅうっと握り締め、座っている彼からは届かない位置に上げる。  彼は「返せよ」と必死な顔をする。  二年も姿を現さない橘冬馬を、忘れられないだけでなく、まだ強く想っているだ。  こんな、ただの紐に縋りたいくらいに。 ( ああ、もう、だめだ…… )  内側の黒い水は激しくゆれ、溢れ返り、俺の全てをどす黒く染め上げた。

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