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   ピアノの蓋をそっと閉じ、その上に両手を突いて項垂れる。 「ハルのせいじゃない」  オレはもう一度はっきりと言った。  そして。  この後にオレが言おうとしていることは、ハルにとって、聞きたくはないことかも知れない。 「さっき、オレが言ったこと、あれが理由の全てじゃない ── 一番は、冬馬だ」  冬馬の名が出た途端、ハルは顔を上げる。その眉間には深い皺が刻まれている。 「オレは、子どもの頃からピアノが大好きだった。別に誰かに聴かせようとか、誰かの為に弾こうとか、思ったことはなかった。でも、冬馬に出逢ってからは、誰かの為に弾くのなら、それは冬馬以外ありえないと思うようになったんだ。……冬馬もオレのピアノが好きだった。おまえが聴いていたオレのピアノは、いつも冬馬を想って弾いていたんだよ」  更にハルの顔が歪む。  ハルには辛いことかも知れないが、全部伝えてしまいたい。 「だけど ── 秋穂が現れ、もうオレのピアノも、オレ自身も、冬馬はいらなくなった。だから、オレは ── もう、誰かの為に弾くのを辞めることにしたんだ」 「夏生が教えてくれなかった、“それだけじゃない”理由ってのが、このこと……?」 「夏生にはいろいろ話したし、彼は聡いから、気づいていたんだろうね。── でもね」  オレはそこで一旦言葉を止めた。ハルの顔をじっと見て、決意を込めて「うん」と小さく頷く。 「やっぱり、ハルの言葉は、オレの背中をちょこっと押したんだよ。あの時、オレの行く道を変えるきっかけになった子どもに、また出逢ったのは、運命かも知れない。オレはほんの数時間前まで、おまえとは会いたくないと思っていたけど、今は会えて良かったと思ってる」  オレは、ふふっと小さく笑って、ハルにウィンクした。 「まあ、ちょっと、ムチャされたけどね」  パッとハルの顔に朱が走る。照れ隠しか、タオルでがしがし頭を拭いた後、ピアノの前の椅子にタオルをかけた。  濡れた髪はもう逆立ってはいないが、パーマをかけているのか緩くくせがついている。  髪色は朝の光の中で、やはりアッシュグレーだったのだと分かる。ブリーチは使ってないのかナチュラルな感じだ。 ( この二年で少し変わったな。更にモデルらしくなった ) **  ハルはゆっくりとオレの方に向かってくる。  オレの前に立ち、上掛けから出ているオレの上半身を見る。 「ほんとに、すみません。酷いことして」  本人から見ても、自分がつけた痕は酷いと感じたのか。 「ほーんと、もうちょっと手加減してほしいよ。オレ、初心者なんだから」 「え」  パッと今までの申し訳なさそうな顔が消え、何処か嬉しそう。 「シウさん、男……いや、女もまだ……」  小声だが、聞きにくいことを遠慮なく聞いてくる。 「そーだよ。三十路のオジサンは、まだ童貞です。魔法使いになっちゃうかも」 「まほうつかい?」  何のことか分からないようなので、そこはスルー。  

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