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── 次は、優しくする。
ハルはそう言った。でも、あれから一年近くが経とうとしても、彼はオレを抱いたりはしなかった。
それでも、距離はずいぶんと近づいたように思う。
以前は、仕事絡みの時だけ。プライベートで会うことはなかった。
今は違う。忙しいハルの時間が空いている時には、食事に行ったり、オレの部屋や独り暮らしを始めたハルの部屋で過ごしたりもする。
ハルは時折、そっと手を繋いできて、頬や唇に優しく触れる程度のキスをする。
恋人と言っても可笑しくない距離に成りつつあるのに、それ以上は踏み込んで来ない。
彼はまだ、オレの心に冬馬がいると思っているのかも知れない。
ずっと長い間、冬馬一人を想ってきた。そんなにすぐにはいなくならない。それでも、その想いはもう既に形を変えている。
ハルへの気持ちも。
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春頃、オレはようやくピアノに触れようという気持ちになった。調律するところから始めた。
三年近く弾いていないと、やはり、なかなか元のようには指は動かない。それでも、毎日鍵盤に触れて、少しずつ感を戻す。
初めはずっと、冬馬の好きなあの曲を弾いていた。彼への想いを昇華するかのように。
今は ── 新しい曲を作っている。
鍵盤を叩いては、譜面に書き入れる。書いては消し、一枚捨てては新しい譜面に、また一から音符を踊らせる。
それを積み重ね、もう少しで完成する。
「この辺から……」
オレは譜面に『cresc.』と書き込んだ。
『crescendo』
小学校の音楽でも勉強する『<』のこと。“だんだん大きく( 強く )”を意味する強弱記号だ。
オレはこの一曲に『<』『>』を何度も入れた。
そして、最後は『cresc.』。時間をかけて、だんだんと強くしていき、終わる。
「時間をかけて……だんだんと……強く」
オレは口の中で唱えた。
これは、ハルそのものだと思った。
出逢ってから、近づいたり、遠ざかったり。そして、今は寄り添うように傍にいて、だんだんとオレの心の中で、ハルの存在が大きくなっていく。
これは、ハルの曲。
ハルに贈る曲。
これが完成したら ── オレは、はっきりと自分の気持ちを伝えよう。
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もうすぐ、十二月。
この十二月には、何かしら起きる。オレを変える何かが。
それを前にして、オレはひとつけじめをつけることにした。
オレがずっと眼を背けていたものを明らかにする。
ハルとオレの、これからの為に。
オレは兄の天音に会いに、実家に赴いた。
今まで聞けなかった話を聞く為に。
「やぁと、話を聞く気になったんだぁ」
事前に連絡を入れてあった。天音は自室で待っていた。
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