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第3話

 弓月の声で立ち止まる彼女に近づき、「何があったかは良く知らないんだけど、よかったら使って」とハンカチを手渡す。充血させた眼に罪悪感を煽られる。  彼女は素直にハンカチを受け取ると、それがトリガーになったのか、堪えきれなくなった大粒の涙を流した。 「っあ、ごめんなさい。このハンカチ、化粧で汚れちゃうからクリーニングに出してから後日返すわ。名前とクラスを教えてくれる?」 「それ、使い捨てでいいよ」  目元はマスカラやらアイシャドウやらが涙で流れてしまって、人工的なクマができている。返されても仕方ない。  弓月は彼女が気遣わなくていいように断ったつもりだったが、彼女自身が思う以上に化粧崩れが酷いと察したのか、慌てて涙を引っ込めて「今、私の顔面やばいよね、ごめん」という。 (こっちの方がゴメンだよ。アーティスティックなんて内心で暴言吐いてごめんなさい)  「化粧落ちた顔の方が、断然綺麗だよ」弓月は独り言のようにこぼした。  偽りのない本心である。  彼女は弓月の吐露した言葉に目を丸くさせた。そして、彼女は柔和に笑う。  それから八の字眉を作り、「これ、絶対綺麗にして返すから。ありがとう」と言い去って行った。  彼女の後ろ姿を見届けて、空き教室に残る竜ヶ崎に声をかける。「シロー、女の子泣かせちゃダメでしょ」。  机上に胡座をかいて窓から外を眺めている竜ヶ崎。憂いを帯びた不良という多少矛盾した表現が似合う竜ヶ崎は、「お前はサボるなよ」と弓月を一瞥した後、すぐに視線を窓の外へと移す。  この時ばかりは、幼馴染みの弓月でも知らない男の空虚な表情をしていた。その顔を見てしまえば、今この場で竜ヶ崎を叱ることはできなかった。 (さっきの女の子に飽きたんじゃなかったの? もしかして、未練がある、とか?)  そう思った瞬間、言い得ぬざわつきが胸のあたりを駆け抜けた。  竜ヶ崎の女遊びを発見してから数日経ったある日の昼休み、教室に弓月の見知った女子が訪れた。   「弓月君、先日貸してもらったハンカチ返しに来たよ!」という彼女に見覚えこそあるが、先日会った時の面影がほとんどなくて、一瞬だけ唾液の嚥下が上手くいかなかった。化粧の濃かった(アーティスティック)顔から一転して、ナチュラルメイクに変えて清楚系のお姉さんに変身していたのだ。  教室に入って弓月の前の席に座る彼女は、「この間はハンカチを貸してくれてありがとう。あの時、恥ずかしかったけどちゃんと泣けたからスッキリできてとっても感謝してるの」と朗らかにいう。 「わわ、丁寧に包んでもらって。そこまでしなくて良かったのに」 「ううん、本当にあの日助かったから……そのお礼なんだけどさ」  そういうと、彼女はハンカチを包んでいた紙袋ではない、もう一つの紙袋を渡してきた。「クッキー焼いてみたんだけど、他人の手作りっていけるクチ?」。 「本当にそこまでしてもらう必要ないよ! えっと——」 「菊池百合だよ」 「あ、えっと菊池さん」  「百合でお願い」と菊池は半ば強引に名前呼びをさせる。弓月が大人しくそれに従い、クッキーも素直に受け取ると、さらににこやかに笑みを見せて嬉々とした。  昼休みの終わりを告げる五分前。用を済ませたはずの菊池がなぜか弓月の前に居座り続け、竜ヶ崎が飽きて捨てた女子と談笑して昼休みが終わる。 「クッキーありがとね。家に帰ってから大事に食べさせてもらうよ」  弓月は続けて「それと、今のナチュラルな感じも、あの日に思ってた通りイイね」と最後に付け足した。

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