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第36話——遡行——
教室から微かに聞こえていた三浦と菊池の会話に、耳をそば立てて聞いていた桜木。それから、悲痛な叫びに似た啼泣する菊池は、自身のことを当て馬だと自虐し、「竜ヶ崎とは離れた方が良い」と言い残して教室を出た。
茫然自失といった感じで、ドア付近で盗み聞きを敢行していた桜木のことなど露知らず、重い足取りで人気の少ない校舎裏で疼くまる。
言わずもがな、桜木は菊池のこっそりと跡を尾けた。もちろん、菊池の復讐心を少しでも和らげるためだ。
「菊池さん、どうぞ」
一人になってからはひっそりと啜り泣く菊池に、ハンカチを差し出した。桜木の声に、ゆっくりと顔を上げた菊池は、「デジャブ?」と汚れた顔を晒す。
三浦の印象を悪くさせなよう、三浦が菊池と出会ったあのシチュエーションを再現してやったのだ。
「なんで私の名前を知ってるのかととか、何でこの場所に君がいるのかとか色々聞きたいことはあるけど——でも、ありがとう」と素直にそれを受け取る。
(この人はどこまで気付いているのだろうか。三浦先輩が何の思惑もなしにアンタにタイミング良く話しかける訳もないのに)
——三浦も彼を守るため。それに気付かず、ただ振り回されただけの彼女に同情心が湧いてくる。
おそらく、三浦が菊池をぞんざいにできなかった理由と同じだろう。
ただハンカチを渡して、三浦の代わりに捌け口になるつもりだったのに。
「僕、詳しいことは分からないですけど、今は菊池さんのやるせなさを少しでも紛らわせたらなって思いました」
「さっきの見てたわね」
「……すみません」
痴態を見られた菊池は、開き直って「じゃあ、今の間だけで良いから胸貸して」とぶり返す涙に栓をせずにいう。
これを拒否できるほど人間は腐っておらず、桜木は黙ってしゃがみ込み、菊池を後ろから抱き締めた。
「顔は見ませんから、これで好きなだけ声出して泣いて下さい」
ダムの決壊のように、放流される涙は止まることを知らない。
桜木もつい、後ろから頭を撫で、一定のリズムでぽんぽんと菊池を宥める。彼女の悲しみを推し量る涙を流す菊池に、一言だって慰みの言葉が見つからない。
だが、三浦を傷付けられることを避けたかっただけの桜木に、この場で胸を貸してやれる相応しい男は他にもいただろうな、そう思わざるを得ない。
ひとしきり泣いた菊池は謝罪と礼を口にした。
そんな菊池に桜木は「……また、声かけても良いですか」と後ろから尋ねる。
「……また、声かけてくれるの?」
「はい。でも、今日はこれからちょっと野暮用が」
「……だったら、これも頼まれてくれる?」
そう言う菊池の口から耳を疑うような言葉が出てきた。「実はさっき教室にいた弓月君に告白してる間、友達の竜ヶ崎ってやつのことを襲わせるよう他校の友達に頼んでて。弓月君が彼のところへ行ってるようなら、引き止めてやってくれないかしら。まだ、教室にいると思うから……」。
桜木の全身の毛が一斉に逆立つ感覚を覚える。菊池に一言声を掛けるより先に駆け出し、三浦がいた教室に戻る。
しかし、そこに彼の姿はもうない。
(っ畜生! 三浦先輩が危ねぇ!)
校舎裏にいる菊池に竜ヶ崎らの居場所を聞き直した。
すぐに急行したが、そこは既に死屍累々の状況であった。そこに竜ヶ崎と三浦の姿はない。
一気に安堵が押し寄せた桜木は、惨状を隅々まで確認することはなかった。
そして、後日。竜ヶ崎から直々にコンタクトがあり、三浦の状態を知ることになる。
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