13 / 15

13.狐は逃げる②

 今のが結界の術なのだろうか。だが自分も蒼月も、一見して何の変化もない。  不安げになりながら再び後ろを見てみると、二匹の狐が三棟後ろのマンションの屋上で、ぐるぐる回っているのが見て取れた。まるでコウ達を突然見失ったかのように。 「結界を解除しない限り、私達の姿は奴らの目には映らない。もう追っては来れないだろう」 「そっか……」  コウはほっと息をつき、改めて周りに意識を向けた。  いつもより近い青空。地上を歩くたくさんの人々。大学やいつも使っている電車の駅。遠くの方で隣町にある遊園地の観覧車が回っている。  ああ、綺麗だ。  頬にあたる風を感じながら、コウは目を輝かせて広い景色を眺め続ける。これが夕暮れ時であれば、尚更美しかっただろう。  その時側で、笑みが漏れる音がした。そこで現実に引き戻されたコウは、蒼月に抱えられたままであるという事実を思い出す。 「なんだよっ」  再び頬が熱を帯びるのを感じつつ、コウは蒼月の顔を睨んだ。 「気に入ったようで良かったと思ってな」  彼は唇に薄く笑みを乗せ、コウの顔を一瞥する。その慈しむような表情に、心臓の鼓動が高鳴った。  ずっと無表情か仏頂面ばかりだったのに、ここでそんな顔をするのは反則だ。  そんな事を思いながら、視線を逸らして胸元の服を軽く握る。  蒼月はもう一度軽く微笑んだ後、降り立ったマンションの屋上で足を止める。そして四方をぐるりと見渡しながら、「ところで」と問いかけた。 「お前の家はどこだ。このまま送ってやろう」 「えっ? いや、いいよ!」  コウは慌てて首を振る。考えて見れば、もうあの狐たちは追って来ないのだ。これ以上こんな恥ずかしい抱かれ方をされ続ける必要は無い。  それに蒼月は異形なのだ。二度も助けられてしまったが、淳の言う通り信用しきっていい相手ではない。早めに別れて距離を取るのが身のためだ。 「ほら、丁度そこに電車の駅があるし! この辺りで下ろしてくれたら嬉しいな~。早く帰って課題やらなきゃいけないし!」  コウがマンションの真下の駅を指さすと、蒼月は眉間に皺をよせた。 「まだ、さっきの話が終わっていないだろう」  そういえば、聞きたいことがあると言っていた気がする。それを達成するまで自由にするつもりはないようだ。  だが、それならここで話していけばいいではないか。  言いかけた時、蒼月がふいと顔を逸らし、沈黙の後に一言呟いた。 「……それにあんな鉄の蛇より、私の方が早いぞ」 「はい?」  一瞬言葉の意味が分からず、コウは目を瞬かせた。  鉄の蛇、とは恐らく電車の事だろう。それより早い……とは、まさかこの狐、電車と張り合っているのだろうか。  蒼月の横顔をまじまじと見つめる。彼の顔は一見無表情だったが、よくよく見れば口先が僅かに尖っていた。  もしかして拗ねているのか。  それに気付いたコウは、我慢できずに吹き出した。 「あはははっ! なにそれ! いくらお前が異形でも、電車より速いはずないでしょ!」  蒼月は顔を背けたまま、不貞腐れたように呟く。 「……嘘ではない……」 「いやいや、無理しないでって」  どうしてそこまでコウを送りたがるのかは分からない。だがなんとなく、悪意はないことだけは伝わってきた。  コウは笑みを押し殺しつつ、駅の向こう、線路が繋がる先を指さした。 「あっちに見える、次の駅の近くに、俺が住んでるマンションがある」 「……!」  蒼月の狐耳がぴんと立った。自分に向けられた碧眼は、きらきらと輝きを放っている。目に見えて喜んでいる事が分かり、コウはもう一度くすりと笑った。 「今回は、お前の言葉に甘えるよ。家までどうか、お願いします」 「……ああ、任せろ」  柔らかく微笑んだ蒼月に、コウの胸が再び高鳴る。それを誤魔化すように視線を逸らし、言葉を続けた。 「それじゃ、本当に電車より早いかお手並み拝見といこうかな~。まあきっと無理だろうけど!」  だが彼はコウの煽りにも動ずることなく、目的地の方角を見据えて頷いた。 「分かった。見せてやろう」  そして蒼月の瞳が妖しく光り――。

ともだちにシェアしよう!