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日常が非日常に変わる時-1

「オミ!いないのか、オミ!」 屋敷中に轟いているのではないかというくらいの大声で呼ばれて、辰臣(たつおみ)の肩がぴくんと跳ねた。頭で何か考えるよりも先に体が動く。声のする方へ小走りで向かえば、その人はロングコートの袖口を正しながら玄関に立っていた。 「一(はじめ)様!ここに。」 真っ直ぐに伸びた背筋が相も変わらず美しい彼にそう呼び掛けると、黒曜石の瞳がこちらを射貫く。 「少し出掛けてくる。」 「お一人で?いけません。私が、」 「いい、いらない。行ってくる。」 慌てて追いかけようとする辰臣ににべもなくそう言って玄関を出ようとする一。 誰が見ても立派な成人男性である彼にとって、まだ太陽が頭上高く照らしている時間帯での外出など、何の問題もないはずだ。けれど彼の置かれた立場が、決してそれを許しはしない。 旧華族として莫大な資産を築き上げてきた成瀬一族の直系であり、長男の一。幼い頃に不慮の事故で近親者を亡くし、孤独の身となった彼の肩には、歴代の党首が繋いできた大きな権威と責任、そしてそれらを横から掠め取ろうとする陰謀が重く圧し掛かっている。辰臣に経済やら政治やら、難しいことは分からない。けれど成瀬一という男は、迂闊に1人で歩いていて事件や事故に巻き込まれることがあってはならない人物なのだ。 骨の髄までその教えが染みついている辰臣は、一人外出しようとする一に食い下がる。 「しつこいぞ。別に目立つこともしない。」 「だめです!一様に何かあってからでは遅いのです!」 「お前も知ってるだろ。俺は武術の心得もある。いざとなったらそれなりに...」 「いいえ。お言葉ですが、私のような者が体得している技術は規範にのっとって勝負する綺麗な武術とは違うのです。お一人での外出は認められません。」 とうとう一の前まで回り込んで両手を広げ、絶対に動かないぞと彼をまっすぐ見上げたところで、先に折れたのは一の方だった。大きく息を吐いて、ぐしゃぐしゃと己の黒髪をかき回す大きな手。そんな仕草さえ、映画のワンシーンかのように見えてしまうのだから不思議だ。 「...春日を呼べ。」 数秒の沈黙の後に、唸るように絞り出された名前は辰臣のそれではなかった。 咄嗟になぜ、と口に出しそうになったのを寸でのところで飲み込んで頷く。 「承知いたしました。」 いつもならどこへ行くにも辰臣を伴っていくというのに。 ご指名のあった男を端末で呼び出すと、すぐに駆けつけて穏やかな笑みを浮かべ、一言二言何かをやり取りして二人は出かけて行った。 ぽつんと1人残された辰臣は、首を傾げて呟く。 「何しに行ったんだ...?」 辰臣がこの屋敷に来るまでは、春日が彼の護衛と教育係を兼ねていたと聞く。もう高齢と言って差し支えない年齢の春日と一は、ただの主従以上の絆で結ばれているようには見えるが、最近の春日はまるで引退したかのように一に関する仕事の多くは辰臣に任せていたのに。 まあ、春日さんが一緒なら心配はないか。 色々と疑問は浮かんでくるものの、頭の中でそう結論付けて辰臣は肩の力を抜いた。 主が帰ってくるまで何をして過ごそうか。 何をしたら、彼は喜んでくれるだろうか。 まずは彼がいつも眺めては目を細めている庭の花壇の様子でも見に行こうと、手のひらを軽く握り込んだ。

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