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日常が非日常に変わる時-2
大きな庭中の植物たちの世話を粗方終えて、手持ち無沙汰になってしまった辰臣は再び玄関へと足を向けた。誰もいないそこはやはり静かで、深く息を吐く。
一は思いやり深いが、決して甘いだけの人ではない。いつも何かしら言いつけられて動き回っている辰臣にとって、この時間は苦痛ですらあった。
日が短い季節ということもあり、外は薄暗くなってきている。もう夕方だ。
一様、いつ帰るんだろう。何して待っていればいいんだろう。
ただぼんやりと立ち尽くし、我が家のように見慣れてしまった目の前の空間を眺める。この屋敷に来たばかりの頃は、それまで住んでいた家とは全てのスケールが違ってただただ驚き、興奮していたものだ。代々成瀬家の護衛任務を預かってきた辰臣の生家。いずれはお前もそうなるのだと何度も説かれていたから、一の元へと送られることには何の疑問も抵抗も抱いていなかった。それどころか初めて見た彼に心打たれ、何があっても彼を守り付き従うと心に誓ったほどだ。けれど、当時の一にとってはそうではなかったらしい。しばらく、いや、結構長い間心を開いてもらえなかった。
あの頃を懐かしい、だなんて思えるほどには二人の距離は縮まった。
仕事中は常にスーツを着ている辰臣の肩には、背中に至るまでに大きな傷跡が残っている。一目で何かで裂かれた傷だと分かるそれは、今でも何かにつけては痺れて痛むことがある。だけどこの傷も、いつの間にか大切な思い出に変わった。
暫くそうして己の世界に浸っていると、がらりと玄関が開いた。
恭しく頭を下げている春日の肩を労う様に軽く叩いたのは、今まさに思いを募らせていた相手だ。一は明かりもつけずに突っ立っている辰臣に驚いたのか、その場で足を止める。
「オミ。」
名前を呼ばれ、頬が緩んでしまうのは無意識だ。
「おかえりなさいませ。」
「…何してるんだ。」
「一様の、お帰りを待っていました。」
正直に答えると、一は呆れたように息を吐く。
「そんなこと命令してないだろう。待たなくていい。」
傍から聞いたら、冷たくあしらうような言葉。けれど辰臣は、その言葉の裏にある一の真意がちゃんと分かっている。
玄関脇にあるウォークインクローゼットにコートを片付けた一が、通り抜けざまに口を開いた。
「夕飯まで部屋で少し休憩する。付き合え、オミ。」
暖房も効いていない玄関にいた辰臣を気遣ったであろうその命令に、迷うことなく頷く。
「はい!温かい紅茶をお持ちしますね。」
一が一等気に入っている茶葉の収納場所を思い出しながら、その背中を追いかけた。
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