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日常が非日常に変わる時-3

「お待たせしました。一様が以前香りが気に入ったとおっしゃっていた紅茶をご準備いたしました。」 この屋敷で最も離れにある書斎のドアを開ければ、中央の円いテーブルに長い脚を組んで座る一がいた。 精緻な模様が目にも美しい陶磁のティーセットを並べ、沸騰したお湯を注いでいく。正直辰臣には茶葉の良し悪しや淹れ方の如何に心を動かされるような感性はない。けれどコーヒーよりも紅茶を好む一流の彼のために、一流のマナーを一通り身に着けてきた。慣れた手つきで準備を進める辰臣に、不機嫌そうに眉を寄せたのはその忠誠心を一身に受ける一だった。 「休憩時間だ。そんなにかしこまらなくていい。」 手元のタブレットに視線を落としたままそう言う彼の声には不満が乗せられていて、思わず苦笑する。 「お気遣いありがとうございます。ですが、まだ私は勤務時間中なので。」 かしこまるも何もこれが自分の仕事なのだと返せば、小さく舌打ちが聞こえた。 「強情な奴。」 何かが気に入らないらしい一の言葉には聞こえない振りをして、きっかり3分間蒸らした紅茶を二つのカップに注いでいく。一にはストレートを、自分の分には砂糖とミルクをたっぷり入れた。一緒に準備したスコーンも忘れずにテーブルに並べていく。思い返してみれば、こうして一をゆっくり過ごすのは随分久しぶりのように感じた。何も粗相をしなければいいけれど、と少し緊張しながら一の向かい側の椅子に腰を下ろすと、今度は一がタブレットを置いて立ち上がった。大きな窓の目の前にある執務用のデスクまで行った彼が戻ってきたときに手にしていたのは、赤いリボンがあしらわれた小さな白い紙袋。 「これを。」 そう言って机の上に差し出されたそれは、よく見ればブランドや流行に疎い辰臣でも知っているようなジュエリーの有名店のロゴがプリントされている。 「随分時間がかかって、春日に呆れられたが...」 ぱちぱちとただ瞬きをしながら一の様子を伺っていた辰臣は、その言葉に嗚呼と納得した。昼間に出かけていたのはこれを買いに行くためだったらしい。 たしかに誰かへの贈り物を選ぶなら自分より春日の方が適任だろう。なんでも即断するのがポリシーとも言える彼が選ぶのに時間がかかったなんて、相手はさぞ想いを寄せている人なのだろう。浮いた話なんで今まで聞いたことがなかったが、よほど”いい人”が見つかったらしい。 「それだけ想いのこもったプレゼントです。お相手の方もきっとお喜びになりますよ。」 珍しく緊張しているような表情でこちらを見つめる一を安心させようと、辰臣はわざと明るい声で言葉を紡いだ。何においても完璧で、非の打ちどころなんてないような人だ。そんな男からのプレゼントにときめかない相手なんてきっといないだろうと。にこりと一に笑って見せれば、眉間に刻まれていた皺が消えて薄い唇が緩い弧を描いた。 「じゃあ、お前は喜んでくれるか。」 唐突にそう言われて、辰臣は再び目を瞬かせる。 喜ぶ?誰が?お前が? 日本語としては理解できるのに、何を問われているのかが全く読めない。数秒間沈黙している間に紙袋が顔の目の前まで差し出される。某有名ブランドのロゴに飲み込まれそうになってやっと、辰臣はある可能性について思い当たった。まさか、そんなはずはない。そんなことをされるような理由も、関係性もないのだ。けれど不思議な沈黙に包まれたこの空気を破るには、思い切って言うしかない。 「わ、私にですか...?」

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