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日常が非日常に変わる時-6
それから数日間、一の態度はどこかよそよそしかった。業務上一の傍に侍っていることの多い辰臣を、意識的に視界に入れないようにしているらしい。声をかければ返事はあるが、固いその声は明らかに辰臣を拒絶していた。
仕事中に執務室で彼が何やら難しそうな書類に目を通しているのを眺めながら、辰臣はぼんやりと考えた。
あの時俺は、言ってしまえば一様の好意を拒否したんだろう。ちょっと突飛で、突然だっただけであれは彼なりに考え抜いての行動だったんだ。
真剣な眼差しで指輪を贈ってきた姿を思い出して、少し胸が痛む。
幼い頃に不慮の事故で大切な家族をなくし、ずっと孤独だった人だ。上面だけで助けてくれた大人はたくさんいただろう。だけどそれと同じだけ裏切られ、傷ついてきたことも知っている。その度に涙を隠してきたことも。
あの日からも彼への信頼や忠誠心は一ミリも揺らいでいないが、今現在二人の間にギクシャクとした気まずい空気が流れているのも事実だ。
このまま解雇を言い渡されたらどうしよう、なんて最悪の結末まで想像してしまう。誰よりも一のことを考え、優先して行動できる自信があるし彼だってそう思っているだろうという自負もある。それに何より一の隣に立つのは自分がいいのだ。他の人間にこの立場をとって代わられるなど考えただけで虫唾が走る。
だけど、指輪を差し出してきたあの手を取ることはできなかった。
彼の望みなら、何を犠牲にしたって何だって叶えたいと思うのに。
矛盾した心を持て余したまま辰臣が考え込んでいる間に、一は視線を落としていた資料から顔を上げた。その気配を感じて一の方へ意識を戻すと、澄んだ黒曜の瞳と目が合う。久しぶりに目が合った気がして咄嗟に言葉が出てこない。
「オミ。」
静かな部屋に響く彼の声に、自然と背筋が伸びる。「はい。」と返事を返事をすれば、一は小さく手招きをした。彼のデスクまでは、たった数歩の距離。何を言われるだろうとドキドキしながら、手を伸ばせば触れられるほどの距離まで近づいて足を止めた。大きな背もたれが気に入っていると以前言っていた椅子に座ったままの一は、こちらを見上げて一つ息を吐く。爪が短く揃えられている手がゆっくりと伸びてきて、微かに辰臣の腕に触れた。まるで触れてよいか確かめるように控えめなそれを、拒絶することはしなかった。一の指が辰臣の腕をなぞるように下りてきて、指先が緩く絡まる。自分より少しだけ低い体温に息をのんだ。未だに心臓は大きな音で鳴っている。突然指輪を嵌められた時には、こんなに緊張しなかったのに。
じっと見上げてくる視線に耐え切れなくなって目を逸らすと、一が小さく笑ったような気がした。
「話がある。」
聞いてくれないか、なんて。
そんな頼み方をするのは卑怯じゃないか。
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