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第4話 写真
ミツナ、デビューは確かスカウトがきっかけだった。街で声をかけられて。
年齢不詳、出身も不明、ただその整った顔立ちから外国人の血が混ざっているのでは、と噂はある。ハリウッドの有名俳優の落とし子だとか、スーパーモデルが極秘に産んだ子どもだとか。きっと純血の日本人とは思えない髪と瞳の色のせいもあるんだろう。
ほら、髪が陽や灯りに当たると絹糸が透けているようにすら見える繊細さだ。
全てが秘密。そのミステリアスさも相まって、決して露出が多いわけでもないのにミツナの人気はものすごかった。雑誌に出ればその雑誌は瞬く間に書店から姿を消して、ネットオークションで何倍もの値段をつけられてるなんてこともある。
男女問わず彼に魅了される。
俺もそんな大勢のうちの一人だ。
「…………ふわぁ……あー、寝てた」
そう呟いて、数回瞬きをするだけで、その長い睫毛さえ光を放つ気がした。
「写真、撮った?」
「ぇ、あ、すみません」
「なんで謝んの? 撮ってて頼んだの俺だけど?」
言いながら笑って、長い髪をかき上げた。指が綺麗だった。そんな綺麗な指をしていると高級ブランド品なんだろうアクセサリーすら邪魔に思えた。
「いいの撮れた?」
「あ、確認を」
「いーよ。別に、ふわぁ、よく寝たわ」
大きく欠伸をして、それからまるで猫のように大きく身体を伸ばした。身長は……確か、百八十九、だっけ。写真映えする背丈だと思ったんだ。顔は驚くほど小さくて、まるで神様がその手で直に作り上げたかのような造形だ。なんて、三十手前の男に事細かくプロフィールを覚えられてるのも、観察されるのも気持ち悪いだけだろうけれど。
女性関係の噂はちらほらネット上には上がってきてる。
けれどそれが週刊誌のネタにならないのはミツナを国宝級と認識している事務所が総力を上げて、ネタを潰して回ってるからだとか。
「これ、あんたがかけてくれたんだ」
「……」
「コート」
だって、そのまま眠っていたら風邪引くだろう? 空調が整えられてるからって、まだ一月なんだから。ハイブランドの何十万もするコートを毛布の代わりにさせてもらった。
「毛布なら寝室にあるよ。さっきあんたに見せたバスルームの向かい側の部屋」
「……」
「好きに使ってもらって構わないって言ったろ? 寝室はそこ、そんでその隣の部屋がクローゼット。なぁ、今何時?」
「あ、夜の十一時、すぎ……」
「……すげー寝たな」
そう、ぐっすりだった。忙しいんだろうな。引くて数多な「ミツナ」なんだから当たり前か。
「九時、過ぎたあたりで、その、このあとはどこにも出かけないのかもしれないって思って」
「?」
好きにしていいと言っていたから。
「晩飯、作っておいた。鍵、借りた」
ここに案内された時と同じ、ソファの前にあるローテーブルに放り出されていた場所へと買い物の後に戻した鍵を指さした。
「どこか外食するならそのまま冷蔵庫に放り込んでおいてくれればいいし。大したものじゃないけれど」
近くにあった高級スーパーで買ってきた。俺がよく行くところと同じ品物がずっと高い値段で売られていて、なんだかもったいない気がしたけれど。
「もしよかったら」
「あ、あぁ」
「そしたら、俺は今日はこれで」
「あぁ」
仕事の内容はミツナに三ヶ月間密着してプライベートから仕事まで色々な彼の表情を写真に収めること。
「あの、明日は何時頃に来れば」
朝はミツナが指定した時間から。
「あ、あぁ、そうだったっけ、あー……じゃあ、十時、かな」
「わかった」
夜はミツナが寝るまで。まだこの後、寝るのかどうかはわからないけれど、ここにいたら、作った飯を食えと言わんばかりだろうから、退散することにした。なんとなく今日一日のミツナの様子だと、手料理だからと無理に気遣って食べるような、そんな感じではないけれど、それでもなんとなく。
「それじゃあ、今日は、これで」
「あ、あぁ」
「……お疲れ様でした」
頭を下げて立ち上がると商売道具のカメラ一式が入ったケースの肩紐を肩に引っ掛けた。
「なぁ、悠壱」
「……はい」
「やっぱ明日九時」
「……はい」
そして、もう一度頭を下げて、玄関を後にした。高層階からエレベーターで地上に降りると、一気に現実に戻って来られたような気がした。
これがこれから三ヶ月間の俺に仕事になる。三ヶ月間、彼を写真に撮り続ける。
「…………いいって、言ってた、よな」
そう確かに言っていた。好きに撮って構わないと。プライベートも何もかも、撮ってもらって構わないと。
写真、確認すると言われなくてよかった。
「…………」
立ち止まり、ガードレールに腰を下ろして、ほう、と一つ息を吐いた。その吐息が真っ白になって夜に溶け込む。
肩から下げたケースを開け、カメラのデータを出して、何枚かページをめくっていくと、一月の夜風が心地良いと思えるほど頬が熱くなった。
誰にも気が付かれないかもしれないけれど。
誰にもわからないかもしれないけれど。
それでも撮った本人には、その写真達から滲み出てしまっているような気がして誰にも見せられそうにないんだ。
無意識に何度も押したシャッターボタン。人に見せられるような写真は最初の数枚だけだ。そこから先は、ゆっくりと愛撫するかのように、彼を捉えてる。
「っ」
誰にもこの写真は見せられそうにない。
そのくらい、彼に夢中な自分の熱がその写真たちに染み込んでいる気がした。
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