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第6話 地声

 不思議な感じだ。  仕事をしているミツナを見てるっていうのは。  俺が知っているのは、今、ミツナが向けられているカメラから見たミツナだ。こっち側から見たことがないから、視点が逆で不思議な感覚がある。  綺麗で、肉食獣を思わせる凛々しい眼差しと、写真には収まりきらないほどのしなやかな色気。それを雑誌とか液晶画面越しで見ていた。  けれど、今それを触れることもできる距離で鑑賞している。  信じられないよ。  今、何十人もの人間が忙しそうに動き回りながらも、その全ての視線が集中している中心に彼がいる。セットの前に立ち、高級ブランドの服を身に纏い、いくつものポージングを淡々とこなしていくミツナ。この彼の事ならよく知っている。追いかけていたから。ファンの一人として。 「はーい! これがラストー! ……オッケー! お疲れ様ー!」 「お疲れ様でーす」  声は知らなかった。  今は主戦場はあのスポットライトの下だけれど、最近、テレビでの露出も少しずつ増えてきた。だからテレビ越しに彼の声を聞いたことならある。 「お疲れ様でーす……」  あのよそ行きの声なら、何度か見たことのあるインタビューなどで聞いたことがある。 「はぁ、ダル……」  でも、この声は知らなかった。よそ行きよりも幾分か低くなる地声。  それから朝がとても弱いことも知らなかった。朝、九時に行くと、まだミツナは寝ていたようで、チャイムを正面エントランスで何度も鳴らしたけれど反応がなくてどうしようかと思った。幸い送り届けてくれたマネージャーが合鍵を持っていてくれたから入ることができたけれど。  そして、ベッドの中でぐっすり眠る彼を見つけてしまった。早速撮りたくなったけれど、少し気が引けて……カメラを構えることはしなかった。こんなに逐一撮っていたら、三ヶ月で写真の量は見きれないほど膨大になるだろうから。 「ねぇ、マネージャー、もう控室戻っていい?」 「えぇ、かまいません。私はスタッフの皆さんに挨拶をしていくので」 「あっそ、お疲れ様」  マネージャーは一礼をしてからスタッフの元へと向かった。そして、そこで多分、この仕事を取りまとめてる人物なんだろう男性へ丁寧に挨拶をしていた。  今度はドラマにも……って言っているのが聞こえた。  役者デビューも熱望されているって言われたっけ。演技も身につけたら人気に拍車がかかってものすごいことになるんだろう。  周囲に一礼される中を歩いていく姿はまるで王のようだ。そしてその王にどうにか気にいられたいと媚びた甘ったるい眼差しを向ける女性がやってきた。 「あ、ミツナだぁ……」 「……」  彼女は……確か前にネット上では交際相手なんじゃないかって噂のあったアイドルだ。 「あ、お疲れ様です」  にっこりと微笑むと、そのアイドルは蕩け切った笑顔を向けて、身体を擦り寄せた。そのミツナの背後に俺がいるなんてお構いなしに。 「お疲れ様でぇす。あの、今夜って、もう予定埋まっちゃいましたかぁ?」 「あー、ごめん。もう予定入っちゃってるんだ。打ち合わせを兼ねた食事で」  えー? と、媚びた声で残念がるアイドルに笑顔のままその場で「また今度」と答えて、「ミツナ」と書かれた紙が貼ってある部屋へと入っていった。 「くっさ……」  そう吐き捨てるように呟いて、着ていたジャケットを控室のソファへと放り投げる。 「あの女の香水で鼻が曲がるかと思った」  また聞けた。 「うるせぇ女……」  ミツナの地声だ。 「うるさくて、臭いとか、最悪……」  雑誌や画面越しなら一生知らなかったミツナ。 「で、あんたは何してんの?」 「カメラをしまおうと……」 「なんで?」 「いや、今、この後打ち合わせの予定があると言ってたので、今日はここまでかなと……」  彼のプライベートも含めて写真を撮ることにはなっているけれど、その予定がまた別の仕事が絡みつつの食事なら、その打ち合わせ相手の都合もあるだろう? 全くの部外者である俺がいる中、これから進めていく仕事の話なんてできるわけがなく、俺は邪魔をすることになるから。 「は? 何言ってんの?」  今日の仕事はここまでかなと。もう一日で笑ってしまうほどの量のミツナを写真に撮ったし。自分で呆れるほどの枚数だ。どの瞬間も切り取ってみたくて。それこそ「逐一」写真に収めていた。 「俺のプライベートも全部だってば。俺が寝るまで」  ミツナは唇の端を吊り上げて笑った。今だって、首からカメラをぶさ下げていたなら、絶対に写真に撮っていただろう。 「それに、さっきの嘘だし」 「え?」 「あの女、ああでも言わないと付いてくるから。なぁ、それよりも、あの晩飯、美味かった」 「あ……あぁ、昨日の」  食べてくれた、んだな。  大したものじゃなかったのに。肉と玉ねぎ、それから焼肉のタレがあればできる簡単なものだった。調味料すらひとつも置いてなかったから、全部買って、さっと作っておいたんだ。野菜炒めとかじゃ、材料がいくつも必要だし。  それなのに食べてくれた。 「あれ、また作ってよ」 「……」  あぁ、失敗した。  今、絶対に撮りたかった。  こんなふうに笑うミツナを。  けれどもカメラをケースから出して彼へレンズを向けるにはもう遅くて、だから必死に見つめた、目に焼き付けたかったんだ。その表情を切り取るように、何度も、俺の指先はシャッターを切るかのように僅かに力を込めて、カメラケースの肩紐をぎゅっと握り締めていた。

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