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第7話 獣の指先
たいそうな料理なんて作れない。自炊してはいるけれど、別に凝った料理を作ったりはしない。ホント適当なものだ。料理って呼んでいいものかどうか、そんなレベルだ。
米を炊こうにもミツナの部屋には炊飯器すらないから、レンジで温めるだけの米をまたあの高いスーパーで買ってきて、後はカット野菜と肉を出来合いのタレで炒める程度。そのくらいなら不味くなりようがないから。
昨日の料理も作っておいてなんだけど、ミツナが食べてくれるとは思ってなかったんだ。
他人の作ったものなんて、芸能人は怖くて食べないかなって。
ただ俺がそうしたくてしただけ。追っ掛けファンみたいなものだから、何かミツナのためにしたかっただけ。余計なことでもなんでも。
「……あ」
「どーかした? なんか買い忘れた?」
すごい有名人だからスーパーで買い物させるわけにはいかなくて、先に帰宅してもらっていた。周囲に正体を知られたら不味いだろうし、最悪、住んでる場所を特定なんてされたらもっと大変だから。
そんなことを考え、ふとミツナの職業って……ということに気がついて、声を上げるとミツナが振り返った。料理なんてしたことが一度もないミツナは、リビングにある大きな、俺の部屋の窓よりも大きなテレビ画面をぼんやりと眺めながら夕食が出来上がるのを待っていた。
「あ、いや……」
気がついた。
「ミツナはモデルだから、その、食事に気を使ってるだろうに……俺」
炭水化物とか、糖質とか、なんか体型維持に、皆、ケアとか食事制限を普通にしているだろう? なのに昨日のも今日のメニューもそんなものは一切考えていなかったんだ。
「ごめん。これじゃあ」
「…………っぷ、あはははは」
大きな部屋に響く大きな笑い声。
びっくりした。そんなふうにミツナも笑うんだ、って。
「ねぇよ。そんなの、気にしたことねぇ。好きな時に好きなもの食ってるよ」
「え、でも」
「ふつーに酒飲むし、ふつーに飯食ってるよ。炭水化物がどうとか、俺、モデルだからって気をつけたりなんてしたことないから」
腹を抱えて笑ってる。
「そうなんだ」
「そうだよ」
「それで……」
あぁ、またシャッターを押せなかった。こんな顔をして笑うなんて知らなかった。
「それで、あんなに綺麗なんて……」
「……」
「! あ、あの、モデルというか、天性、なんだなぁと……」
男の俺に綺麗だと言われたところで嬉しかないだろ。それにきっとそんな形容詞は言われ慣れてる決まってる。何百回、何千回と言われてきた言葉だろう。
「……飯、できた?」
「え、あ、あぁ、簡単なものだけど」
「いーよ、別に」
ミツナは白いソファから立ち上がると、キッチンへやってきてダイニングテーブルに腰を下ろした。炊飯器すらない家にランチョンマットなんてものがあるわけがなくて、そのまま直置きで、野菜炒めに白米、それからインスタントの味噌汁を並べた。
「……あんたの分は?」
「え? あ、いや、俺は写真撮りたいから。食事中は撮影控えたほうがよかった?」
「いいよ、別に、けど、使えないと思うぜ?」
ミツナは僅かに笑って、そして割り箸を手に取った。
「俺、箸の持ち方、ちゃんとしてないから。だから、飲食系の仕事は全部NG。人前ではそういうところを見せんなってなってる」
「……」
「だから写真撮っても、使えないだろ?」
言いながら、右手で箸を持つと、確かに不器用な使い方だった。
「わかった? 天性なんかじゃねぇし、綺麗でもない」
「……」
「こういうところはぜーんぶ隠してあるからさ」
そう、だろうか。
「綺麗、だけど?」
そう、思う。
「綺麗だと思う」
「何……」
「触っても?」
「あ? あぁ……別に……」
そっと、恐る恐る手を伸ばした。獣に触れるように、その指先に僅かに触れた。
「この親指をこうして……こっちに……この人差し指を……」
ミツナに触れてしまった。
「これが正しい使い方」
「……」
ほんの少しだけれど、触れてしまった。
「…………めちゃくちゃ、食いにくい」
「そのうち慣れるよ。ミツナはとても器用だから。じゃないと、あんなに撮影中、カメラマンの指示に瞬時に反応できない」
「は?」
「案外、難しいんだ」
勘がいいんだと思う。自分がスタジオカメラマンをしているからよくわかる。自分が仕事で撮影をしている時、右肩が上がっている、そう言われて、瞬時にその体勢を整えられる人はあまりいなかった。もう少し上げて、もう少し、そうやって何度も指示を出すんだ。指示を自分の中ですぐに体現して見せるのはなかなか難しい。それに、ミツナはあのスポットライトの下で、指の先、ほんの爪の先端まで神経を研ぎ澄ませて、緊張を行き渡らせて、自由自在に手足を動かしていた。
それはまるで人間にはないしなやかさと強靭さを兼ね備えた獣のようで。
「なぁ」
「?」
「明日も作ってよ。飯。そんで、その時はあんたも一緒に食って」
「……え?」
「手本が目の前にあった方が覚えやすいだろ?」
どんな瞬間さえも凛々しく美しかったから。
「……」
とても美しいから。
俺は、またカメラを構えるのも忘れてその姿に魅入っていた。
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