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第9話 一般人の休日
一般人、二十八歳、男、独身……の送る休日なんて退屈で平凡なものだ。
朝、だらしのない時間に起きて、溜まっていた洗濯をこなして、掃除して。明日からまた仕事だなぁと気怠く思うだけ、だったのに。
朝、早めに起きた。
急いで朝食を済ませて、それから溜まっていた洗濯と掃除、それらの退屈な家事を終えてから。一人、パソコンに向かっていた。
ミツナを撮る、という新たな仕事の整理。撮った写真の枚数はものすごいことになっている。一日中、ミツナのことを好きなだけ撮っていいと言われたら、そうもなるけれど。まだ五日目にしてこの量だ。三ヶ月となったら、物凄いことになる。だからこまめに整理をしておかないと。
「……これは、コーヒーが不味いって言ってた時のか」
しかめっ面をしているところを撮った一枚。コーヒーはよく飲んでいた。けれど、ここのスタジオで配られたコーヒーが驚くくらいに不味かったようで、ひどく顔を顰めていたところだった。
「こっちは眠そう」
セットチェンジの間、控室で休んでいても大丈夫、と言われたけれど、端にあった椅子に座っていた時の一枚。この日は朝からひどく眠そうにしていた。確か、その前日、帰ったのが日付が変わってからだったから寝るのが遅かったんだ。
「あ、これはいいな」
移動中の車の中で撮った一枚だ。繁華街の騒がしいくらいのネオンに目を細めた横顔。彼の端正な顔立ちがそのライトに照らされてとても際立っていた。
「あ、これもいい」
着替えている最中のもの。思わずシャッターを押してしまったんだ。シャツの袖のボタンを留めようとした瞬間を捉えた一枚。とてもかっこよかったから。
そして、そのシャッター音にミツナがこっちを見て言ったんだ。
――えっち。
なんて、揶揄うように笑いながら。俺は慌てて謝って、今の写真データを消そうとした。けれど、今のは冗談だよ、いいよ、とミツナは今度は子どものように笑っていた。
「……」
その笑った顔も写真に撮った。もちろん。とても良い笑顔だったから。
「…………」
信じられるか?
あのミツナが笑ってる。俺に、この笑顔を向けている。
追っかけファンみたいなものだから、ミツナが出ている雑誌はたくさん見てきた。俺は彼のその瞬間しか知らなくて、写真で切り取った一秒の、その前後の彼を見たことがなかった。
今、このカメラの中にはその一秒が山ほどある。そして、この写真の前にミツナが何を話していたのか、この後にミツナがどんなふうに表情を変えたのを知っていて。
ただただ不思議で。
写真の整理、になってないな。これじゃ。
ただファンがミツナの秘蔵写真の一枚一枚に大喜びしてるだけだ。
少し休憩しようとコーヒーを煎れることにした。
炊飯器、うちで使ってるこれはいくらだったっけ。そう高くなかったはず。それなら買って、ミツナの部屋に置かせてもらうこともできるかな。
コーヒーを飲みながら、ふと、テーブルの上に置きっぱなしのスマホが目に入った。
恋人もなし。知り合いのカメラマンはほとんどが世界中を飛び回っている。だから連絡が来ることはほとんどない。しかも、急にスタジオカメラマンに転身した変わり者を酒に誘う物好きもいないだろ。
鳴ることなんてほぼないスマホを手に取った。
「……」
何か、俺みたいな初心者でも作れて、美味そうなものって何かないかな。
なんてさ。
何してんだろうな。
また食事を作ってくれと言われた時のために予備知識の準備なんてして。
少々……どころじゃなく気持ち悪いだろ。
しかも相手はミツナだ。
女性に困る訳もなく。むしろ、言い寄られて困るくらいの、あのミツナだ。手料理の方が断然楽で美味いなって思えば、いくらだって作ってくれる女性がいる。大喜びで料理を振る舞うだろ。そんな相手に何をしてんだってさ。自分でもそう思うけれど。
そう、思うけれど。
「あ、これ……」
ひとつ美味そうなのを見つけた。しかも簡単そうだ。調味料が少ないのは助かる。
なんて、その綺麗に盛り付けられた肉のソテーをもしかしたら次も頼まれるかもしれないと、レシピを開こうとしたところだった。
「!」
手の中のスマホに着信が。
「……ぇ」
しかも、相手はミツナで。
なんだろうと、頭の中がそのスマホの振動音と、ミツナっていう文字に慌ただしく色々なことを考えた。もしかしたら、やっぱりもう仕事は終わり、とかなんじゃないのか? 明日の予定が変更になったとか? それとも――。
『あ、もしもし?』
「あ……お疲れ様です」
電話に出ると、外にいるようだった。
『っぷ、マネージャーみたい』
ミツナの声の向こうから外の雑多な音がする。
『なぁ、今、何してた?』
「あ、えっと、写真の整理を」
嘘だ。
本当は、ミツナに作れそうな、簡単で美味そうなレシピを探してた。でもそんなの言ったら、気持ち悪がられるに決まってる。
『ふーん……ならさ、今から出て来れる?』
「え?」
『炊飯器、ないつってたじゃん』
「……ぇ?」
気持ち悪いだろ? 自分よりも五つ以上年上の男が、自分のためにせっせと、また手料理を振る舞おうとレシピ探してたなんて。
『買いに来たんだけど、よくわかんねぇからさ』
言われたわけでもないのに、またミツナに頼まれるかもしれないと、少しだけ期待をしながら、なんて。
『付き合ってよ』
期待をしてる自分に苦笑いを零しながらも。
『買い物』
写真の整理そっちのけで、レシピを探してた、なんて。
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