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第14話 ひどく爛れて

 苦しそうな声だった。  俺は先に帰ったんだ。撮影現場を先に出た。そこからどのくらい後にミツナが仕事を終えたのかはわからない。撮影なんて時間通りに終わることはあまりないから。そこから、今何時だ? 撮影が終わってから、体調でも崩したのか? でも、それならマネージャーが送るだろう? あんな電話を俺にしてくるわけがない。じゃあ、何かトラブルに?  頭の中でぐるぐると色々考えながら、買ったばかりの具材を構うことなく振り回しながらミツナの自宅マンションまで走った。  タクシーをどうにか捕まえられないかと、何度も通りを見ながら走って、走って、けれど運悪く、スーパーからミツナのマンションまでの間にタクシーを捕まえることはできないまま。ようやく辿り着いて、ポケットから鍵を出した。  ミツナがどこにいるのか分からなかった。それを訊く前に電話は切れてしまったから。でも、他に探せる場所なんてわからない。撮影現場なのかもしれないけれど、それならマネージャーがどうにかしているだろう。だったらと考えて、ミツナのマンションしかとりあえず思いつくところはなかったから。 「ミツナ!」  そこしか知らなかったから。 「ミツナっ!」  マンションに辿り着くと鍵はかかっていなかった。確かに今朝、鍵をかけて出たから。だから中にいるんだとそれで確認できて、とりあえずホッとした。  けれど、玄関を開けた瞬間、喉奥がヒュッと音を立てた。  玄関には靴があった。雑に脱ぎ捨てられた靴が玄関に転がっていた。 「ミツナっ! いるんだろっ? ミツ、」  長い廊下を走って広いリビングの扉を壊しそうな勢いで開けて、そして、心臓が、一瞬止まった。 「ミツナっ!」  リビングの床にミツナが倒れていた。苦しそうに身体を丸めながら。 「っ……な、で……ゆう、いち、いんの……」 「ミツナ? どうしたっ」 「あー、さっき電話、したっけ、なんとなく、だけど、うっすらそんなことした気が……」 「!」  よかった。意識がある。でも、触れると飛び上がるほど身体が熱くて、呼吸も乱れてる。 「具合が」 「へーき……つうか、帰って」 「は? 何言って」 「帰れって……俺は平気だから」  何言ってるんだ。平気なわけない。こんな発熱して、フラフラで身体を起こすのだってキツそうで、声だって上擦って呂律が回っていない。 「ミツナ!」 「触、んな……薬盛られた」 「……は?」  薬って。 「……油断した、クソ」  ひどく苦しそうだ。 「バカな女がなんか勘違いして、逆上した」 「……な。マネージャーは?」 「スタジオからタクシーのつもりだったから、そんで、一人の時にその女が来て、他に女が出来たんだろとかギャーギャー騒ぐから」  ミツナは急にグッと苦しそうな顔をして、身体を丸めた。慌てて背中に手を当てると、ビクンと飛び跳ねて、小さく「やべぇ……」と苦しそうに呟いてから苦笑いを零した。 「そもそもお前なんか相手にしてねぇっつうの。なのに、急に遊ばなくなったとか、言い出しやがって、クソッ、一杯でいいから付き合えとか言い出すから」 「それで……」 「隙を見て薬盛ったんだろ」 「とりあえず救急車を」  スマホをポケットから出すと、ミツナの手が俺の手首をギュッと握った。そして、小さく絞り出すような声で救急車を呼ぶなと言う。 「なんでっ、薬って、身体にっ」 「多分、媚薬系だから」 「……は?」  媚薬って……。 「それで既成事実作ろうとでもしたんだろ」  それって。 「へーき。一晩我慢すれば薬抜けんだろ。あと少しここで休んだら、もう少し動けるようになるだろうし。そしたら、一人でシコって出すから。あんたは帰れよ。夕飯は悪いけど、またそのうちで」  それって。 「買い物、してくれたんだっけ? 置いといて、後で冷蔵庫にしまうから」  ミツナ。 「早く、帰れ」  でも。 「早くっ!」  でも――。 「帰れっ! 媚薬ってなんだかわかってねぇの?」  この気持ちに。 「ここにいたら、あんた」  この感情に、名前は付けてない。 「俺に、犯されるぞ」  なぜなら、あまりに色が濃くて、貪欲で、ひどく爛れているから。 「だから、早く」  この気持ちに、この感情に、一番近い名前は多分『好き』だと思う。けれど、そんなに清らかで純粋なものではないから、名付けられなかったんだ。 「帰れって!」 「俺を、使えばいい」  欲しいと思ったんだ。喉から手が出るほどに。 「……は? 何、言って」  ミツナという綺麗なものをただ欲しいと思ったんだ。渇望、っていうのが一番近いかもしれない。正気じゃなくなるほど。 「全部吐き出せば大丈夫になるなら」 「……」 「その吐き出すために俺を使えばいい」  信じられないだろ? 「悠壱っ」  驚くだろ? 「おいっ」  でも、俺は胸が弾むほど大喜びしてたんだ。どんなタイミングだろうと、どんな理由だろうと、ミツナをこの口で、舌で、手で、身体で頬張れるのなら、なんでもいいって、そう思ったんだ。 「悠っ、っ」  思ってしまった。  だから、ほら。  俺は大喜びで、ミツナの熱に触れたくて。 「っ……」  手を伸ばした。

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