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第19話 都合のいい男

 うちのアパート前で張っていた男に話したいことがあると居酒屋に連れてこられた。普通のどこにでもある近所の居酒屋だ。  見知らぬ男だけれど、どう見てもサラリーマンではない風貌に、少し鋭い目つきが印象的な男。 「いやぁ、すみません。お時間大丈夫でしたか?」  笑顔が胡散臭かった。 「……いえ、えぇ、まぁ」  大体の見当はつく。ミツナのゴシップを狙っているとかなんだろう。そして、ガードが硬く、事務所もマネージャーもかなり保護しているし、本人もどうにもボロを出してくれなさそうだから、全く違う、ミツナにとても近い部外者である俺から突いていこうと思った。そんなところだろ。 「それでミツナのことですか?」  単刀直入にこちらから尋ねると目を丸くして、そしてニヤリといやらしく唇の端を釣り上げた。 「えぇ、そうなんです。今、騒がれてるアイドルの逮捕、あの一件なんですけどね。ミツナさん、あの子と交流があったでしょ? それで」 「ミツナにもその薬が回ってるんじゃないかって言うことでしょ?」  媚薬、はそういうのがらみなのかもしれない。 「そうそう、そうなんです。いやぁ話が早いなぁ」 「知りませんよ」  そんなの俺が言うわけがないだろ? 「……なるほど」  ミツナの情報を俺が売るなんてこと。 「そのアイドルがミツナと今、関わりがあるかなんて知らないです」 「うーん、じゃあ、前はあった」 「は?」 「だって、今、関わりがあるかなんて知らないんでしょ? じゃあ、前はあったのかもしれない」 「だからっ」 「けど、ミツナさんの周辺は探ったところで綺麗なものなんです。まっさらだ」 「じゃあ」 「でも最近、そのミツナさんの自宅マンションに入り浸ってる人物がいる」  男はニヤリとまた笑って、俺の手を……握った。 「!」  慌てて手を引っ込めると、その、俺の手を握った自分の手をじっと見つめて、また笑う。 「毎日、夜、一緒にミツナさんの自宅マンションに入っていきますよね? カメラマンの貴方が。この前は朝まで一緒だった」 「それは」 「その前の日に、ミツナさんがそのアイドルと会ってた……ように思うんです。そして、それから数日後にアイドルの彼女が捕まった」 「……」 「何かあるのかなぁって」 「ないですよ」  何も。 「ですよね。でも、そうだなぁ、これだけだっていい感じに書けば、いい感じに大騒ぎになるでしょ? 今、躍進が期待されてる、大人気モデルだ。俳優に転身なんてことも言われてます」 「……」 「少しくらいのゴシップだって、いいネタになるんです。書き方次第で」  また、手を握られた。 「でも、どんなに調べてもこれ以上のことは出てこないようだし、徒労に終わりそうな気もする。すこーしばかりミツナの名前に傷をつけて終わるくらいのもので、このネタに高い値段が着くかどうかも微妙なところ」  けれど、ミツナには少しばかりのマイナスイメージがくっつく……かもしれない、と男が小さな声で囁いた。 「どうでしょう……」  俺の耳元で。 「どう思います?」  低く、囁いた。  これは…………まぁ、そういうことなんだろうな。 「……ふぅ」  ホテルのロビーのシャンデリアをソファの背もたれに全身を預けるようにしながら見上げた。  まさか、自分がよく知らない男とホテルに入ることになるなんてって。シティホテルだけれど、人が多いところでは……と耳打ちされて、場所を変えようと提案されて、ホテルに来る必要はないだろ? つまりはそう言うことだ。  たとえ火がないようなところでも煙だけ出して、ミツナの情報をネット上の垂れ流しにしてしまうぞ、と、やんわり脅された。  脅されて、俺はついて来た。  断ったって構わない。  断ったところでミツナに迷惑はかからない。  このことをミツナのマネージャーに伝えれば、この間のことのように揉み消すだろうし。もしかしたら、マネージャーはこの男のことを知っているのかもしれない。この間、俺に他言は絶対にするなといちいち声をかけてきたのはすごく不自然だったから。これを予知していてのことだったのかもしれない。  だから、俺があの男についてシティホテルに来る必要なんてないのかもしれない。  それでもついてきた。  バカなことをしている。  そんなの十分わかってる。  それでもついて来たのは俺にとって、それは、ちょうど良かったから。  あの男が脅すよりも、まぁ……つまりは、そういうつもりで俺を誘ったのなら、都合がいいって、思ったから。相当な物好き、なんだろう。俺みたいなただの男を誘うなんて。それでもいいんだ。別に構わない。  そしたら、俺は――。 「やっぱり、あんただ……」  心臓が止まった。  シャンデリアをぼんやりと眺めていたら視界が一気に陰った。背もたれに頭を乗せて、ぼーっと。そしたらそのシャンデリアと俺の視線の間に、煌びやかなガラスよりもずっと、もっと綺麗なものが入り込んだ。一瞬で人の視線を攫って奪って、一瞬で誰もを魅了する。  こんな男と一度だけセックスをした。  たったの一度、けれどその一度が忘れられなくて、その時の快感が忘れられなくて、とても困っていた。 「何してんの?」  身体の奥が疼くんだ。 「ねぇ」  だから、誘いに乗った。  都合が良かったんだ。  ちょうど、あの男の髪型と、長くて骨っぽい指の感じがミツナにほんの少しだけ似ていたから。だから、ちょうどいいって思ったんだ。  ミツナの代わりになってもらって、俺のことを抱いてもらおうと。 「悠壱」  そう、思ったんだ。

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