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第28話 「ご機嫌」な理由

 一目見て惹かれたのは美しくて、凛々しくて、瑞々しいミツナだった。  モデル特有の凛とした佇まいは草原で獲物を探す獣のような魅力があって、一歩一歩、周囲の視線の中を真っ直ぐ歩く姿は無駄なものがなくて、ただただ、なんて綺麗な生き物なんだろうと思った。  終始、ご機嫌な様子だった。  いつも以上に集中力がすごくて、予定されていた終了時間よりも早く終えることができた。  今日の撮影は着替えが多くて、とても大変そうだったのに。着替えるのだって、数時間で数十着もなんて、普通に考えて疲れるだろ。けれど、ずっと笑顔だった。疲れた様子は微塵もなくて。帰りの車の中でいつもは淡々としているマネージャーでさえその集中力と体力を何度も褒めていた。けれどミツナはその「ご機嫌」の理由は特に打ち明けることもなく。  ―― 今日の撮影が楽しそうやつだったからじゃね?  そんなふうに答えるばかりだった。  でも本当に楽しそうで。スタッフの、特に女性たちがそんなミツナが見られて嬉しそうだったっけ。今日のミツナさんは機嫌がいいって、たくさん笑ってくれたと、まるでファンのようにはしゃいで話しているのを、いつも通り、スタジオの端で聞いていた。  確かにとても楽しそうだった。カメラマンからの指示にも素早く対応した。  一着だけ撮影が難航したんだ。きっと何かが合わなかったんだろう。何度もポージングを要求されていた。それでも、笑顔だったり、凛々しい顔だったり、表情を何通りにも変化させながら、カメラマンの指示に集中力を切らすことなく対応していた。  今日のミツナは一段と調子がいいと、とても好評だった。  あまりにたくさん褒められているから。  そして、何も別に理由はないと言いながらもミツナがずっと笑顔だったから。  もしかしたらって思ってしまう。  撮影も、それ以外の仕事もいつも通り。忙しくて、分刻みで。それが終わったら帰宅するだけ。特に何か新しいことがあるわけじゃない。楽しそうなイベントや約束事がある様子もない。  唯一、「いつもと違うこと」と言ったら。 「なぁ、悠壱」  今夜から俺がここに泊まることくらいで。 「今日の夕飯なぁに?」  それが今日の「ご機嫌」の原因なんじゃないかと、烏滸がましいことを考えてしまうくらい。  本当に嬉しそうだった。 「あ、えっとポークソテー、トマトソースの」  びっくりした。料理をしている間、ずっとテレビでも眺めているんだと思っていたから。急に背後に立ったれて慌てて振り返ると、キスできてしまいそうな距離にミツナの顔があって、それにもまた慌てて、フライパンへと急いで視線を戻した。  ミツナはそんな俺を気にすることなく、俺の肩に顎を乗せた。そう小さい方じゃないと思う。男性としては平均よりも少し背は高いくらい。けれど、モデルのミツナはそれ以上に長身で、俺の肩に顎を乗せるには背中を丸めないといけない。  それはまるで覆い被さるかのような格好。  そして、ミツナの吐息が首筋に触れる。 「えー……」  くすぐったい。 「っぷ」 「なんで笑うんだよ」  ミツナはトマトが苦手らしい。前に教えてくれた。そういう部分を一切、表のプロフィールには書いていないから知らなかった。噛んだ時のあの種の感じが舌に気持ち悪いんだって、それから青臭いのも。 「いや、これは平気なんじゃないかなって」  だからちゃんとトマト苦手な人でも大丈夫そうなのにしてあるけれど。  怪訝な顔をしてみせるミツナが可笑しくてつい笑ってしまった。ついさっき、スタジオにいたミツナとまるで違っていたから。ハイブランドの服を何着も見事に着こなし、カメラの前に堂々と立っていた人とは全く違って見える。 「トマトに麺つゆを合わせるだけで簡単なんだけど、トマト臭さがめんつゆで消えるんだって」 「えー、嘘っぽい。そんなんで消えるもんなの?」 「さぁ、いま初めて作ったから」 「消えてなかったら俺食えないじゃん。食うけど」 「どっち……」 「せっかく悠壱が作ってくれたんだから食うよ」  くすぐったい。  ミツナが話す度に吐息が首筋に……くすぐったくて。 「ね、そこでそんな顔しないでよ」 「っ」 「肉、焦がしちゃうじゃん」  ミツナの吐息にゾクゾクしてしまう。 「ン……ぁ」  その首筋にミツナの唇が触れて、そこにきっとキスマークがくっついた。小さな甘い痛みが走ったから。 「早く食べたい」 「あっ……それ、なら」  エプロンの中に侵入してきたこの手を止めてくれないと。 「腹ぺこなんだ」 「ンんんんっ」  その手が乳首を捕まえて、押し潰す。それがたまらなくて、調理をしている手が止まってしまう。 「悠壱……」 「じゃ、じゃあ、料理の邪魔っ」  腹ペコなんだと言うわりには料理をしている俺の手を妨げる。 「っぷは、ちげーし」 「ン、あっ」 「俺が腹ペコで、早く食べたいのはさ」 「あっ」  乳首をキュッと抓られて、甘い悲鳴が口から溢れてしまう。もちろん、手なんて動かせるわけがない。  だから、ほら、めんつゆの香りに少しだけ、焦げた匂いが混ざっていく。それでも、キッチンには似つかわしくない甘い声が俺の口から。 「あっ……ン」  また、零れ落ちた。

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