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第30話 朝

「……あ」  思わず、声が出た。  その声にベッドに座っていたミツナがポカンとして。 「……は?」  そう返事をした。  本当に、少し、なんか頭がちゃんと機能していないのかもしれない。今気がついたんだ。普通に考えて当たり前なのに、これぽっちもそんなこと考えもしなかった。 「あ、あのっ、俺はっ、リビングのソファにっ」  泊まるって、ベッド、ないじゃないか。 「それじゃあ!」  一つしか。  ベッドはない。 「はぁ?」 「だ、だって」  それなのに泊まるって何を服まで持ち込んでるんだ。朝、ここに来た時点で気がつけよ。自分がどこに寝るのかくらい。 「ソファで充分だから。俺は。前の仕事じゃ。外で野宿なんて全然してたし。だから、その」 「ちょっ、なんで、ソファで寝るんだよ。フツーにこっちでしょ」 「!」  急いで、リビングへ向かおうとしたけれど、その手を引っ張られてベッドへ連れて行かれる。 「いや、あのっ」 「男と添い寝はやだとか?」 「そ、そんなわけっ」  どこで読んだんだっけ。ミツナが載っている雑誌は全部目を通しているからどこでそれを読んだのか忘れたけれど、ミツナがプライベートなことを話すのはとても珍しかったから、載っている写真も記事も少なかったけれど、買ってよかったって思ったんだ。  ベッドは大きいのが好きなんだって話してた。その大きなベッドにゆったりと一人で寝るのが好みだって。そう言っていた。 「俺がいたら狭くなる……ミツナは大きなベッドで一人で寝るのが好きだろ?」  それに、二人で眠るなんて、まるで。 「よく知ってんね」 「!」 「まぁ確かにそうだけど。また男の自分じゃ抱き心地が、とか言い出すのかと思った」 「っ」  あぁ、本当に、思考が最近の自分の状況に追いついていないのかもしれない。そっちの方がありえるだろ。女性よりもだいぶでかいんだ。そんなのを隣に添い寝させても面白くないだろ。それこそ行為じゃなくて、休息を取るための睡眠なら尚更男で、女性よりもでかい俺は合っていない。 「一緒に寝ようぜ」 「ちょっ、うわぁ!」  強引に連れ込まれて、そのままベッドの中で抱き締められた。俺なんかにそうして腕を回しても、まるで心地良くないだろ。女性なら柔らかいし。懐にしまって、抱き枕みたいにできるからフィットするというか、ちょうどいいように思うけれど、これじゃ……。 「っぷ、何? 緊張してんの?」 「だ、だって」 「……あったかい」  ミツナは力を抜いたのか、俺を抱き寄せている腕が少し重みを増した。 「あんたの体温、すげー気持ちいい」  話しているミツナの声が、小さく、低く、眠たげなものに変わる。 「あ! そーだ。あんた、色々勘違いしてそうだから言っとくけど」 「?」 「俺、ここに女連れ込んだことないから。住んでる場所なんて知られて付け回されても嫌だし。ちなみに泊まるとかも無理。朝まで一緒にとか」 「……え」 「だから……」  俺が思っているような、夜の相手をここで、なんてことも、添い寝を女性と、なんてこともなかったからと言われて。  ほら、また、今のこの体勢に、この現状に思考回路が追いついていっていない。 「早く寝ようぜ……明日も……撮影……」  綺麗だと思った寝顔がすぐそこにある。 「……悠壱……」  眠る瞬間、ミツナが口にした言葉が俺の名前だった。 「……」  そして、呼吸が寝息に変わると、薄っすらと唇を開いて。  睫毛が長くて、その睫毛に長い前髪が触れている。そっと、そーっとその前髪を避けてやっても寝息のままだった。俺で暖を取るように腕を回して、すぐそこでこんなに観察されているのも気にせず、ゆっくり穏やかに眠っている。  女性をこのベッドで抱いたことはないって言っていた。  でも俺は、もう何度もしてもらっている。  女性とは朝まで一緒になんていないと言っていた。  でも俺は、今、一緒にベッドにいる。 「……眠れるわけ、ない」  あるわけないのに。  俺は彼にとっての何かになれているんじゃないかって、そんな期待がどうしても膨らんで仕方がないんだ。 「よく寝れた?」  頭を傾げて、ミツナが朝日の中で微笑んでいた。 「眠れた」 「そ?」 「よく……」 「ならよかった。俺もすっげぇよく眠れた。あんた、あったかくて」 「……」  俺のは嘘だ。けれど、ミツナのは本当。  俺は一睡もしていないけれど、ミツナはぐっすり眠っていた。一度も途中で目を覚ますこともなく、その眉間に皺を寄せることもなく心地よさそうに眠っていた。  俺はそれを誰よりも世界一近い場所で見つめていた。  一晩中。  それに忙しかったんだ。  どうしても膨らんでしまう期待に身を任せるようにずっと妄想していたから。 「こんなによく眠れたのは久しぶりだ」  人間の欲って恐ろしいなと思う。  どうして底無しなんだろう。こんな場所に自分がいるなんて少し前なら思いもしなかったのに。この特別な場所にいられることに満足していればいいのに。どうして、留まってくれないのだろう。  ここに自分がいさせてもらえる、ただそれだけで充分だと思うべきなのに。  一ヶ月前の自分が今ここにいたらパニックになるほど、全てが夢のようなのに。  妄想してしまうんだ。 「忘れてた」 「?」 「おはよ」  そう言って微笑んでくれるミツナが俺をここに置かせてくれる理由を。女性を連れてきたことはないというベッドで、共にすることのない朝に、どうして、俺をいさせてくれるのか、その理由を知りたいと、俺は考えてしまうんだ。  そこには名前のつく感情があるのだろうかと、厚かましいことを考えて、期待で膨らみ切った妄想が止まらなかった。

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