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第38話 作りもの
気に入られてはいると思う。
もしも、そこに、とある感情があったのなら、と疑いたくなるくらいには、ミツナに気に入られていると……思う。
「……」
とある、感情。
いや、ない。あるわけがない。ミツナが? 俺に? あったとしても興味とか好奇心だと思う。あとは女性よりも後腐れがないとか、妊娠の心配がないとか、そういうことくらい。
よくて、セフレ、かな。
多分甘ったるいのが嫌いなんだろう。ごっこの気楽さがいいとか、そんな感じだろう。事後のシャワーも食事を共にするの楽しそうだった。女性ほど何かを俺が要求しないから、気楽だ、とか。
ほら、あんまり色々考えるなよ。
セフレで充分じゃないか。だから早くその妄想をしまって片付けるんだ。
「いかがですか?」
「……」
「もう一ヶ月半になるので」
「……ぁ」
手元のカメラをじっと見つめていて、ミツナのマネージャーがすぐそこに来ているとわからなかった。声をかけられて顔を上げると、わざわざ用意してくれたのだろうか。よくスタジオに常備されてるコーヒーの入った紙コップを差し出してくれた。
「どうぞ」
「……どうも」
受け取るととても整った営業用スマイルを向けられる。よく見かける笑顔だった。きっともう身体に染み付いているんだろう。それはまるでどんな時でもカメラを向けられたら表情の変わるモデルのように、マネージャーっていう仕事をする上で必要な顔。人と話しをする最初のタイミングで向ける、挨拶と同じ顔だ。
「ちょうど半分ですね」
「あ、はい」
もうそんなになるのか。ミツナの密着撮影を始めて。そんなに経った、とも思うし。まだそれしか経っていない、とも思う。そんなに経ったのは撮り溜めた写真データの多さで。それしか経ってないと思うのは、その一ヶ月であの遥か彼方にいたはずのミツナとの距離の縮まり方で。
「……あの」
「警戒しないでください。ただ、途中経過を知りたいだけです。進捗状況の確認ってやつです。ちょうどミツナは今衣装チェンジでいないので。今のうちに」
「あ、すみませんっ、そういうのか」
そりゃ、三ヶ月密着だからと言って、三ヶ月間ほったらかしにはしないか。給料払うわけだし。
思わずホッとしてしまった。マネージャー、事務所にしてみたら、男のカメラマンと、まぁそういう肉体関係があるなんてこと絶対に避けるだろうから。そしたら俺はクビになるに決まってる。
「特に心配も何もしていないので。まぁ、形式上、一応」
「……あ、はぁ」
「それで?」
「え?」
「何かありました?」
「……ぁ」
ずっと、気になってることがある。
あの晩、ミツナが言った一言。ミツナがどんな人間なのか知らないっていう、あれがずっと気になっている。
「あー、いえ、ミツナの家族ってどんななんだろーって思って。ネットではスーパーモデルとかハリウッド俳優の隠し子とか言われてたりするし。一ヶ月見てるけど、実際のところどうなんだろうって思って」
「……」
「それで、その」
「……普通ですよ。街で見かけて、事務所がスカウトしました。それまでは普通の一般人ですよ……どこにでもいる」
それは……ミツナのファンなら誰でも知っていることだった。俺が知りたいのはそこじゃなくて、そのスカウトをされる前の彼だ。
「あぁ、そうだ。もう一件、お伝えしないといけないことがあったんでした。給料、今日、振り込んでありますので」
けれど、マネージャーは俺の知りたいことを避けるように「失礼」とまた営業用の笑顔を向けて、そばを離れると業界人へと挨拶へ向かった。俺の問いから逃げるように。
まぁ、極秘情報っていうのはファンの間では有名な話だ。業界でも知っている人は事務所の数名だけって。だからこそ、すごい出生秘話があるんじゃないかって噂になってる。
「……ゴミ箱」
外、かな。
立ち上がり、空になった紙コップを捨てに行こうと思った。
「へぇ、そうなんだ。おめでとうございます」
ミツナの声がした。少し明るい、作った感じの声。
今日の撮影も衣装チェンジが多くて、ついさっき着替えたばかりだった。これで七度目の衣装チェンジになる。だから時間短縮のためにスタジオの隣に控え室を用意されていた。その扉から聞こえたミツナと、スタイリスト、なんだろう人の会話。
お祝いの言葉が聞こえて、足が止まってしまった。
「結婚かぁ……」
ミツナの声だ。
「俺? 俺は……しないかなぁ」
結婚のことだろうか。相手の方は声は聞こえるけれど何を話しているのかは聞き取れなかった。ミツナの声だけが鮮明に聞き取れる。
「だって、こんな仕事してるし……落ち着かないでしょ」
マナー違反だと思う。
人の会話を盗み聞きなんて。
「それに……」
けれど、足が動いてくれなくて。
「幸せにはさせてあげられないだろうから。むしろ避ける、かも」
その言葉に立ち去れなかった。
「いや! ホント! 苦労すると思うからさぁ。家事掃除、全部苦手。もうすごいだらしないからさ」
その声は明るく楽しそうで、いつものミツナのままだった。きっとこの部屋の中でそう言いながら、スタイリストに向けた顔はモデルらしい完璧な笑顔。
「恋人とか、無理かなぁ」
「えぇー! でも、ミツナさんとならどんな苦労だって! った方だったら」
「もし、そんな人がいたら――」
作った声と作った顔で、そう告げているミツナをこの扉の向こうで想像したら、足が動いてくれなかった。
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