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第41話 メイク

 ―― もし、そんな人がいたら。それこそ俺から離れるかなぁ。そんな人こそ幸せになって欲しいから。  そう、ミツナが言っていた。  俺は、思ったんだ。  この身体がミツナに抱かれたいと変化したように、ミツナがくれるものなら不幸も「幸せ」に変わるんじゃないだろうかって。そう、この間、抱かれながら考えて……。 「……さん……佐野さん」 「!」  ぼーっとしていた。 「こんな感じにセットしてみたんですけど……どうです?」 「あ……」  そうだ。今、これからパーティーに出席するからってスーツと髪をセットしてもらっている最中だった。パッと顔を上げると髪を撫でつけられて、後ろに流すようにセットされたスーツ姿の自分がポカンと口を開けていた。 「絶対にいい感じだと思うんです」  そう言って、スタイリストの彼女が自信満々の笑みを浮かべてる。 「ね? 佐野さん」  一時間前に知らされた衝撃的な本日の予定。  今日はミツナの所属事務所のスポンサーのパーティーで、ミツナが出席するから俺もカメラマンとして同行……だと思ってたんだ。もちろんその場に普段着っていうわけにはいかないからスーツは着るつもりでいたんだけど。ほら、よく結婚式の披露宴会場とかにもいるその式を写真に撮るカメラマンのように。正装はするけれど、招待客ではないんだと一見してわかるようにスーツを着用すれば充分だと思っていた。だから、今現在、ミツナのマンションに寝泊まりしている俺は一回自宅マンションに戻って、自分のスーツを着て来ようと思って……たんだけど。  ――は? スーツなんて、借りればいいじゃん。セットも。  そして、俺はミツナに言われたまま、スタイリストの女性にスーツと髪をセットしてもらうことになった。端の端、カメラマンとして、遠くからミツナが撮影するだけの、添え物だと思ってもらって構わなかったのに。 「どう思います? ミツナさん」  このスーツどう見たって高いだろ。タグのそれが偽物でなければハイブランドの何十万もするスーツだ。もちろんこんなところに偽ブランドスーツなんてあるわけがないから、つまりは、これは何十万もするスーツなわけで。髪のセットだって、街の美容室でやってもらうのとはわけが違う。今、ミツナに仕上がりを確認してもらっている彼女はトップスタイリストだ。 「うん。いいんじゃん?」  ミツナはドレッシングルームの入り口のところで壁に寄りかかりながら、ずっと見物していた。不慣れなこの状況に戸惑っている俺を見て笑うのを堪えてる。 「ガッチガチに緊張しまくり……」 「そりゃっ」 「へーきだって。ただ、立ち食いしてニコニコ笑ってればいいんだから」 「そういう問題じゃ」  借りた猫状態にもなる。  成すがまま、だ。  未開の地というか……知らない世界というか。  ファンデーション? なんて初めて塗った。なんか顔に一枚薄い布でも掛けられてるような感じがして奇妙だ。熱いというか、何もないはずなのに塗った化粧品がなんとなく肌に重なってずっと乗っかっている感じがして、邪魔くさいというか。ふと、その「邪魔」なものをどうにかしたいと口をモゴモゴ動かしてしまう。気になるカサブタをずっと指で撫で続けてしまうように。  すごいな。  ミツナは仕事の時ずっとこんななのか。幾人もの人が顔にも唇にもメイクを施しているのを何気なく見ていたけれど、こんな感じなんだな、なんて。  それにしてもやっぱりなんだか顔の辺りが煩わしいというか、暑いというか。  ふと鏡越しに見れば、そんな俺の様子がたまらなく面白いとミツナがまた背後で笑うのをまた我慢していた。 「じゃあ、こんな感じで。あ、そーだ! この間、モデルのサイのセット担当したんです。その時にこのリップ使ってみたらすっごくいい感じで。佐野さん、使ってもいいですか?」 「え? あ、えぇ……」 「超、質感上がるんで」  まだこれ以上何か塗るんだ……と少しイヤだななんて思いつつ、仰反るようにしながら、彼女の手元を見ると筆でリップを撫でていた。もちろん、リップなんて塗ったこともない。 「これで…………いい感じ」  そう、かな。 「はい。出来上がりです」 「……ど、も」 「いえいえ、スーツもサイズピッタリでしたね。スタイルがいいのと、姿勢が綺麗だからですかねぇ。いい感じです」 「……ども」  彼女は手際良くメイク道具を片付けると、それを抱えてにっこりと笑ってお辞儀をした。忙しい中でお願いしてしまったんだろう。それでも笑顔で対応してくれていた。とても話しかけやすい女性で、基本、部外者ではある俺にも気さくに喋ってくれる人だ。ミツナの専属、というわけではないらしいけれど、よくミツナのメイクを担当していることが多いように思った。 「あ、そうだ! この間のトマトソースどうでした?」  そんな彼女がピタッと止まり、そう質問した。 「あ、うん。すごく美味しかった。アドバイスありがとう」 「いえいえ。あれめっちゃ簡単でよく作るんですよー。リコピンで美肌効果抜群! それじゃあ、私は失礼しますね」 「あ、はい」 「お疲れ様でーす」  そして、ペコリと頭を下げて部屋を出ていった。

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