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第47話 イタイノイタイノ飛んでいけ

 ファッション業界で知らない人はいないんだそうだ。  ――バーナードだぞ?  ろくに話を聞かずに断ろうとするミツナを信じられないという顔で凝視して、とにかく話だけでも、とあのマネージャーが珍しく引かなかった。普段、仕事のことをミツナ主体で全て進めるあのマネージャーが、だ。普通、腕もわからないカメラマンを急遽三ヶ月密着で作成する写真集のカメラ担当へ起用したりしないだろ? けれどミツナがそう言ったから、とりあえずはその要望を受け入れるんだ。ミツナからのリクエストにはなんでも答える。そんなマネージャーが今回のことだけは違っていた。それだけでどんなに大きな事なのかがわかる。  必死にミツナを引き止めていた。彼に写真を撮ってもらえるのは一流のモデルや俳優だけ。そういうことに疎い俺ですら知っている著名な俳優の名前がいくつも挙がっていた。  ――彼に撮ってもらえた日本人なんていないんだぞ?  バーナードが初めて日本人を写真に撮流、その話題性はものすごいだろう。そして、それは同時にこの業界においてトップになれることを意味している。  ――ミツナ!  いつも冷静なマネージャーが声を荒げるほどのこと。けれど、ミツナは。  ――いらねぇ。まだ後一ヶ月、この仕事がある。その後だ。  そう言って譲らなかった。  それでは遅いんだろう。きっとそのバーナードというカメラマンのスケジュールはびっしり埋まっていて、こちらのスケジュールになんて合わせられないんだ。だから、今すぐでなければいけない。  ――もうこの話は終わりだ。  そう言ってこの話をミツナは終わらせてしまった。 「……佐野さん」 「あ……マネージャー」  今日の撮影は特にトラブルとか、なさそうだな。  マネージャーもあれ以上何かをいう事はなかった。  普段通りスタジオの端で様子を伺っているとマネージャーがミツナのいない隙に俺へと声をかけた。とても困った顔をして。  そりゃ、困ってる……んだろうな。 「とても不躾なことをこれから言います。気分を害されるかと思いますので先に謝罪させてください」 「……いえ、大丈夫ですよ。バーナードさん……のことですよね。仕事受けろって俺から言え……とか」  図星……と、マネージャーが小さくぎゅっと眉間に皺を寄せた。  「お願いできないでしょうか。こんな話はもう二度と来ない」 「……」 「彼から撮りたいと言ってもらえるなんて、本当にとても貴重なんです。必ずミツナのためになる」  この間のスポンサーが開いたパーティーがきっかけだったらしい。あの場にバーナード氏もいた。そして同じ会場にいたミツナをひどく気に入り、今回の話がミツナの元に舞い込んできた。  それならば、とても気に入ってくれたんだろう? 少しくらいなら待ってくれるかもしれないじゃないか。 「……どうして、俺にそんなことを頼むんです? 俺は」 「貴方はミツナに信用されている」  チクリ。  マネージャーの言葉に小さな痛みが走った。 「ミツナが貴方だけはとても近くに置いている。貴方のいうことなら頷くと思うからです」  ほら。  また痛んだ。 「バーナード氏はとても多忙な上に気位が高い人なんです。断ったらもう二度とこんなチャンスはない」  ミツナが俺のことを一番信用している。そう言われたから。 「お願いします。貴方から話して、それでも断るのならもう仕方がないと思います。ミツナはミツナで難しい子だ。嫌がりながらでは仕事にならない。だから、どうか――」  信用なんて、しないで欲しい。  ミツナも、貴方も。  真摯にミツナのことを考えているマネージャーの必死な言葉が俺の胸に突き刺さる。小さく、鋭く、チクリチクリと胸のところを。けれど、手で払ってしまえば、その突き刺さった棘は全てパラパラと足元に落っこちてしまうんだ。  その棘を払って、手折って、無視して。  僅かに罪悪感に痛むけれど。このまま。  このままミツナへ助言をしなければ、ミツナをそのバーナード氏に取られることはない。 「お願いします。」  けれど、その棘を綺麗に消して痛みをなくしたいのなら。 「……一応、言ってみます。それでは」  その時スタッフが僅かに動いた。ミツナが衣装チェンジを終えてスタジオに戻ってくる気配を察知して、マネージャーは俺から距離を取った。  助言するよう促したことがバレてしまわないように。 「悠壱!」  この痛みは罪悪感。  罪悪感……っていう棘が刺さる。 「これ、どう?」  ミツナは無邪気に笑って、ひらりと手を前に出す。その指には無骨な男性用デザインの指輪が光っていた。そう、今日はアクセサリーメインの撮影だっけ。ピアスの穴は開いてないミツナはイヤリングというものに違和感を覚えるのか、馴染んでいないと、その顔が言っていた。 「うん……かっこいいよ」 「ちげーよ。あんたは気に入った?」 「え? あ、うん……」 「じゃあ、お揃いのもらおうかな」 「え?」 「よくね? あんたの指のサイズ測ってもらおうよ」  ―― 貴方はミツナに信用されている。  イタイ、痛い。 「そんじゃー撮影行ってくる」  痛いのなら、痛くないようにしないと。  罪悪感を消すのなら、ミツナにとっての最善を言葉にして伝えないと。 「いってらっしゃい」  そんなところにミツナ専属って顔をして座り込んでいないで、ほら、言うんだ。  バーナード氏に撮ってもらうんだと、言わないと、いけないだろ?

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