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第48話 別人
「あーあ、あの指輪、デザイン気に入ってたのに……」
そう言って、ミツナがスーパーマーケットで思いきり溜め息をつきながら、俺が取ろうとした商品を取ってくれる。届かないわけじゃないけれど一番上の棚にあったそれを、モデルのミツナは難なく手に取れる。
そして俺が手に持っていたカゴへと、それを入れてから、不貞腐れたような顔をして、手をコートの中に突っ込んだ。
買い物をしてくると言ったら、一緒に行きたいとミツナがついてきたんだ。自宅マンション近くのスーパー。今日の夕食を何にしようかと、その中をのんびり歩きながら決めかねて、ミツナに希望を聞きながら。
なんでも食べたい。
俺が作るものなら。
なんて、女性が聞いたら大喜びしてしまいそうなことをミツナは言いながら。
二人でのんびりと歩いていた。
「あれは……もしも二つあっても買えないだろ」
名残惜しそうにミツナが呟いたのは今日の撮影で使っていた指輪のこと。どうだと訊かれたから、いいと思うと答えたんだ。ミツナによく似合っていたから。けれど、そうじゃなくて俺とお揃いで買ったらどうかと思ったらしい。もしも一点ものではなく在庫があったら本当に買ってしまいそうだったけど、そんなの恐ろしくて、辞退するに決まってる。ハイブランドの、一点もののアクセサリーなんて。
「俺には似合わないよ」
「えー、そんなことないって。悠壱なら似合うって」
値段を聞いた瞬間、慌ててしまったほどだ。
「あ、悠壱、俺、納豆食べたい」
「あ、うん」
「ひきわりの方」
「うん」
ひきわり? 普通の小粒? どっち? みたいなノリであの時「この指輪気に入った?」なんて訊かないで欲しい。気に入っても買える値段じゃないし、もしも、万が一、買ったとしてもどこにもつけていけやしない。
豪勢なアクセサリーなんて俺には似合わないし、ミツナと揃いだなんて。
ミツナには似合うけれど。
バーナード氏も惚れ込むほどなんだから。
「…………」
チクリ。
ほら、また小さく痛む。小さな小さな罪悪感。
見て見ないフリも、無視もできるけれど、こうしてまた小さくぶり返してくる。
それならいっそのこと。
「……ミツナ」
「んー?」
「……受けた方がいいんじゃないか?」
「……」
「マネージャーが言ってた仕事」
「……」
「滅多にないことなんだろ?」
――貴方から話して、それでも断るのならもう仕方がないと思います。
ほら、それなら今、こうして一度だけ聞けばいいんだろう? そしたらもう胸に刺さるチクチクしたものはなくなる。
――ミツナはミツナで難しい子だ。嫌がりながらでは仕事にならない。
マネージャーだってそう言ってたじゃないか。なら、この一回だけ一応訊いて。
「……さっきも言ったじゃん」
俺が言ってみてもダメならマネージャーだって諦めると言っていただろ?
「あぁ」
これでもうチクリと刺さらなくなる。
「一ヶ月後ならなんでもいいって。なんでもするって」
ほら、やっぱり答えは変わらなかった。俺が言っても、ミツナの意見は、考えは変わらなかった。だろ? だから、これで――。
「……悠壱?」
そう俺を呼んだのは……昔の仕事仲間だった。
実際、会うのは何年振りだろう。
「悠壱じゃないか」
俺がミツナを見つけて、そして、カメラマンとして進む道を違う道に乗り換えて以来だから、もう、何年もあっていなかった。
「悠壱」
「……」
「久しぶりだな」
大木。
出会ったのは海外での大規模な生態調査に同行したときだった。同じ日本人ということもあって、仕事がとてもしやすかったのを覚えてる。それから何度か一緒に撮影をした。
同じように動物カメラマンの仕事をしていて、一緒にサバンナに何ヶ月も滞在したこともあったっけ。地球環境問題に詳しくて、生態調査に関わる仕事に率先して取り組む奴だった。地球のためにと奔走しているような男で、朝まで動物や自然のこと、写真に切りとれた奇跡のような瞬間について語り明かしたこともあったっけ。
有意義な仕事をしていると誇らしそうにしていた。
俺もそうだった。
「……久しぶり」
けれど、それは大昔の事のように思えた。
「悠壱は元気にしてたか?」
「……あぁ……そっちは?」
「まぁまぁ元気だよ。ついこの間まではインドの方にいたんだ。いや、数年であそこはガラリと変わる国だよ。興味深いことが山ほどあった。今度はアフリカで写真を撮るんだ。また地球環境問題の改善に取り組む活動に参加する」
「……へぇ」
まるで別人のことのように過去を思い出した。
「……今も、まだ……スタジオで写真を撮ってる、のか?」
「あぁ、今は」
「悠壱!」
ミツナを知る前の自分と、ミツナを知った自分、そこにこんなに隔たりがあるなんて、自分でも驚いてしまうほど。
「彼は?」
「あ、えっと……今写真を撮らせてもらってる、モデルのミツナさん。すごく有名なモデルだよ。大木も知ってるんじゃないかな」
「……今は彼を?」
「あぁ」
過去の自分がまるで別人のようで、不思議で仕方がなかった。
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