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第51話 たった一人
モデルルームみたいな部屋だなと最初思ったんだ。綺麗で、生活感がなくて。借り物みたいな、そんな部屋。でも寝室にはミツナがスマホを充電するためのコードが二本伸びていて、それは俺のとミツナので。俺のカメラのケースも置いてあって。
生活がほんの少しここにあるとわかって。
そこに俺のものも混ざっていて。
部屋を好きに使っていいと言われた。
全部いつもみたいに使って構わないと言われてる。
だからって、やっぱり自分の部屋じゃないんだ。本当には居座れないだろ?
それでも少しの間だけ居座ったんだ。ミツナが急遽の仕事で泊まりになるからと電話をしてきた日の夜、いつもならミツナと食事をしているだろう時間帯までそこにいた。けれど、電話で言っていた通りミツナは戻って来なくて。そう言われていたのに落胆する自分がいて、自分の部屋へと戻ることにした。
いたたまれないだろ?
羽ばたく彼を上手く見送れないなんて。ちゃんと応援してあげられないなんて。
だから、自分がいたたまれなくて戻ってきた。
どうしたって待ってしまうから。帰ってこないのに足音はしないかと耳を澄ましてしまうから。
帰ってくるわけないだろ? だって、超多忙なバーナードが今夜わざわざミツナのために来日するくらいなんだ。何があってもそこにいく。もちろん、ここへは戻って来ない。それでも……なんて期待をする。そんな、いたたまれない自分のことを可哀想だと思うのは疲れるから、自分の部屋に戻ることにした。
「……小さ」
思わずそう呟いた。
荷物を取りに戻ってきたりもしていたけれど、それでも久しぶりの自分の部屋は、ベッドも随分と小さく感じられた。
前は、ミツナほどではないけれど、動物カメラマンとしてそれなりの地位にいた時は、それなりの場所に住んでいたんだ。部屋の広さも充分、恋人だった彼女もとても気に入っていたっけ。けれど、スタジオカメラマンになってからは収入が減ったから部屋も小さなものになった。でも一人っきりなら小さくても何も問題がないから。
「メール……大木……」
大木から撮影に参加しないかと誘いのメールが来ていた。海外での仕事になるから長期滞在となるって、でも、とても意義のあるものだから是非とも参加してもらいたいと書かれている。
もしも、もしこれに参加したら、俺もミツナが渡米している間、海外で没頭していられるんだろうか。そして、戻ってきた時にもしかしたら、今ストップしている三ヶ月間の撮影が再スタート――。
「……なんてないか」
確信できる。きっとその頃には大変なことになっているだろう。三ヶ月の撮影本を俺になんて任せてはおけないくらい。もしかしたらバーナードって奴がものすごくミツナのことを気に入って、残りの一ヶ月を撮影しだすかもしれない。
そのくらいの魅力があるって知ってる。
わかるさ。そのくらい。
そのバーナード氏が写真を撮ったことでミツナの地位も知名度もグンと上がるだろう。日本人で彼に撮ってもらったことのある人間はいないんだからさ。ちょうど俳優業も期待されていたんだ。あっちこっちへと一気に広がった可能性を事務所は全力で伸ばしていく。
ミツナの人気は跳ね上がる。
手の届かない場所まで上って。
それをずっと追いかけていた。
届くなんて思ってなかった。
それでもあの日、撮ってみたい、ただそれだけで向けるカメラの矛先を変えたんだ。周囲が呆れるのも気になんてしなかった。撮りたい、ただその小さな可能性のある方を自然と選んでいた。
どうして?
どうしてそこまでして撮りたかったんだろう。あのまま動物カメラマンをしてたらいい暮らしができてたはずなのに、恋人がいて、個展を開くことができて、海外を飛び回り、色々な世界をこのカメラに収めて。
人間なんて。
「……」
退屈だと思っていたんだ。
興味があるのは動物ばかりだったんだ。
だって、楽しければ笑って、苛立った時には怒って、悲しい時には泣く、なんてわかりやすいんだろうって思った。
―― あんたが撮ってよ。
そんな単純な人間よりも、笑顔も涙も流さないのに表情が生き生きとしている動物の方が興味をそそられる。
―― わかった? 天性なんかじゃねぇし、綺麗でもない。
表情がないはずなのに確かに感情がその表情に浮かび上がる動物の方がずっと面白い。
――おはよ。
だから、子どもの頃は野良猫を追いかけては写真に撮っていた。親が使わなくなったスマホをカメラ代わりにして、日が落ちるまでずっと。
――ねぇ、悠壱。
ずっと追いかけていた。
――……ありがと。
初めてだったんだ。彼は初めて写真に撮りたいと思えた人。
日が暮れてもまだ追いかけ続けていた子どもの頃と同じように、追いかけて、走り回って、いくらでもじっと待ち構えていられるほど。
「……ナ」
彼を撮ってみたくて仕方がなかった。どうかしてしまったんじゃないかってくらい。
「ミツナ」
好奇心と興味をそそられた。
ミツナは俺が初めて、写真に撮りたいと思えた、たった一人の。
「!」
夢中になった、俺の――好きな人だ。
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