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第52話 まるで少女のように

 今夜、直に会って契約や仕事のこと、詳細な打ち合わせをするんだろう?  どこかのホテルかもしれない。  極秘だろうから。  けれど、バーナードがそんなに有名なカメラマン、なら。  ――もしもし? 大木?  ――おー、佐野! メール読んでくれたのか?  ――あぁ、いやそのことじゃないんだ。あの、申し訳ないんだが。  ――何かあったのか?  カメラマンの知人が多く、顔の広い大木なら知ってるかもしれない、そう思ったんだ。  ――バーナード? うーん……俺は詳しくないけど、でも知ってる奴を、知ってるかもしれない。訊いてみようか?  バーナードが急遽日本にやってきたことを。どこかのモデルをとても気に入ったらしいと、何か噂が流れてるかもしれない。この業界は広いようで狭いから。  いったんで電話を切って、しばらくして大木から電話がかかってきた。  ――来てるらしい。日本にいるよ。  俺はその時点ですでに空港近くのホテルだろうと向かっていた。  ――けどなんでバーナードの居場所なんか。何かあるのか?  ――あぁ。  少しでも早く向かわないと、そう焦る気持ちにせかされながら。  ――大事なものを取り戻したいんだ。  なりふり構わず、あの頃みたいに追いかけたんだ。  子どもの頃、家の庭が野良猫の散歩道になっていた。  茶色の嶋模様をした猫だった。子どもの俺からしてみるととても大きく感じられたけれど、どうだろう。今思えば小さい猫だったのかもしれない。  同じ時間に庭に現れて、そのまま庭を横切ってどこかに消えていく。  ふとそのことに気がついて、逃げられないように家の中から覗き見していた。猫は、そこから見てるのはわかっているんだぞ、とでもいうようにチラリと視線をこっちへ投げて、けれど怖がる様子もなく優雅に歩いて通り過ぎていってしまった。  その野良猫に姉も気がついた。もうすでにスマホを持っていた姉はその猫を何気なく写真に撮った。それを見て俺も撮りたくなったんだ。姉の真似をしたくて、親から使っていない古いスマホをもらって写真に撮った。  そしたら、普段、澄まし顔で通り過ぎていくだけの猫の横顔が映っていた。  光に瞳が透けて輝いて。楽しそうに見えたんだ。澄まし顔をしていると思ったけれど、写真の中のほんの一瞬を切り取ってみたら、全く違う表情があった。  何かその先に楽しみなことでもあるんだろうか。日差しを取り込んだように透けて輝く瞳は綺麗だった。心なしか口元が緩んでいるようにも見えたんだ。笑っているみたいに。  不思議だった。  ただ眺めているだけでは知ることのなかった横顔を、瞬間を、切り取ることのできたそのが嬉しくて。  もっと撮りたいと思ったんだ。  どこから来ているんだろう。  どこにいくんだろうって。  そして、追いかけた。  どこまでも、ずっと日が暮れても、ずっと――。  追いかけた。 「はぁっ、はぁっ」  笑っちゃうだろ。  こんな街中を必死になって走ったりして。  ほら、何人かが「なんだなんだ」って驚いた顔をしてる。  けれど構わず走った。  ――付き合ってよ、買い物。  あの日もそうだったっけ。  ミツナが休日に電話をしてきて、炊飯器を買おうと思ったけれどよくわからないから付き合ってくれって。その時も俺は走ってその場所に向かった。  あのミツナに手招かれたと大はしゃぎで。その懐に入れてもらえたような気がした。夢見心地だった。  会えるのが嬉しかったんだ。大の大人が、独身男が、まるで恋をしている少女みたいに。  出会った時から追いかけていた。  周りになんだあれって思われても、どうかしたんじゃないのか? って笑われても、それでも追いかけた。  俺が作った拙い料理を美味いと食べてくれるから、レシピなんて検索したりして。  同じベッドで眠るのに、男同士なのにバカみたいに意識して。  彼の仕草一つに胸を躍らせた。  外行きじゃない、プライベートだと少し低くなる声に耳を澄ませた。  顔をくしゃくしゃにして笑う瞬間に息を止めて見入って。  ――悠壱!  名前を呼んでくれる度に気持ちを弾ませて。  まるで恋をしている少女のように。  ずっと君のことだけを追いかけていた。ずっとそうしてる。笑い者でも構わないと。  国際線の空港から一番近いホテルのロビーは賑わっていた。煌びやかなシャンデリアに豪勢な生花、足音を全て消してしまう絨毯。ロビーから続くティーラウンジからは微かにピアノの演奏が聞こえている。上品で、飛び交う言語もそれぞれ、その中でも、ほら、やっぱり。 「ミツナ!」  いた。 「ミツナ!」  目立つんだ。  こんな中でもパッと目を引く。  あの日と同じように。空港へ向かう途中、路上で行われていたファッションショーで真っ赤な絨毯の上を颯爽と歩いていた時と同じように。一瞬で目を奪われる。 「ミツナ!」  こんな中では埋もれてしまうだろうけれど、それでも必死に名前を呼んだんだ。  追いかけていた彼へ手を振って。  できるだけこの平凡な自分が彼の目に留まらないだろうかと精一杯に背伸びをして。 「ミツナ!」  まるで少女のように。  声が届いたなら。 「ミツナが好きだ!」  貴方に恋をしていると、そう告げようと、追いかけていた。

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