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第59話 「ミツナ」(実紘視点)
炊飯器があったら……毎日作ってくれたりしないかな。
ロクなものが入ってない俺の小さな脳みそでそんなことを考えたんだ。炊飯器がないって、最初に悠壱が言ってたから。
「す、炊飯器をお探しですか?」
今、悠壱は何してんだろ。
休むって言ってたし。呼び出したら……来てくれんのかな。
「こちらは土鍋で炊いた時と同じような味に」
そんなのわかんねぇよ。美味いとかどうとか。そんな味の違いなんてさ。あんた、見たことある? リンゴってさ、腐ってカビると真っ黒になるって知ってる? 炊飯器の中だってゴミ箱になるような家って見たことある?
「そちらはスチームが……」
わかんねぇし。説明されたって。だから――。
「あー、ありがと。自分で選ぶから」
そう言ってその場を少し離れて、スマホを手に取った。番号ならちゃんと登録してある。それを呼び出して、コールして。
「……」
今、三回鳴らした。四回、五回……今、六回。十回とかまで鳴らしたらダメ? もう切った方がいい?
も――。
「あ」
繋がった。
「もしもし?」
電話、出た。
『あ……お疲れ様です』
部屋にいんのかな。
「っぷ、マネージャーみたい」
休んでた? いや、もう昼過ぎだから起きてるだろ。俺じゃあるまいし。悠壱はちゃんとしてそうじゃん。
「なぁ、今、何してた?」
『あ、えっと、写真の整理を』
俺の?
休日に?
俺の写真?
うわ……なんか。
「ふーん……ならさ、今から出て来れる?」
『え?』
「炊飯器、ないつってたじゃん」
『……ぇ?』
テンション、上がった。
「買いに来たんだけど、よくわかんねぇからさ」
自然とさ。
「付き合ってよ」
口元が勝手に緩んでく。
「買い物」
それを手で隠しながら俯いて、そう、悠壱に言ってみたんだ。
どんくらい待ったんだろ。けど、待ってるの楽しかったんだ。そんでさ、息を切らしながら来てくれたことが嬉しかったんだ。
「あ、来た来た。悠壱」
なんだろ、これ。この感じ。初めてこんな気持ちになった。
「炊飯器、一緒に見てよ。俺、こういうのよくわかんなくてさぁ」
落ち着くような、落ち着かないような。ガキみたいに、はしゃぎたくなるような。
「やっぱ高いのが一番いいのかなぁ……なぁ、悠壱はどう思う?」
「あ、えっと……そんなたくさん炊かない、だろうから、もう少し小さいので、いいんじゃないか?」
「ふーん」
せっかくのオフなのに俺なんかに付き合ってくれんの?
せっかくのオフなのに俺の写真整理してたの? たくさん撮ってるって言ってたっけ。
「じゃあ、こんくらい? つか、どうせ俺一人じゃ絶対に使わないから、悠壱が選んでよ」
「……せっかくのオフなのに、俺なんかじゃ」
「え? 何? 聞こえない」
「女性のほうが良かったんじゃないか? ミツナが飯を作ってよって頼めば、世界中の女性が作ってくれるだろ。しかも、俺みたいなのが作る適当な料理じゃなくて、もっと美味くてバランスの取れたものを」
いらない。そもそも美味いものは一つも食ったことがなかったよ。
「だって……」
あんたに作ってもらいたい。
「だって、女じゃウザいこと言いそうじゃん。俺の女にでもなったかのように」
あんたにそばにいて欲しい。
「そういうの、すげぇいらないからさ」
「……」
「それに、悠壱とならどこで買い物してたって盗撮されて、ネット上でゴシップ書き立てられることないし」
そばに……なんて言ったら、どーなんのかな。逃げるかな。逃げるだろ。俺みたいなのに好かれたって。悠壱、育ちが良さそうじゃん。俺なんかとは全然違うって、仕草とか、話し方でよくわかる。
「なぁ、それより、カメラ持ってこなかったんだ」
「ぇ?」
俺なんかとは全然違うって。
「密着の仕事」
「……あ……えっと」
「持ってきてると思った」
「今日はオフだったから……」
なんだ。
「……そっか」
じゃあ、今日は、俺、あんたのレンズの中であの「ミツナ」になれないのか。このままゴミ溜めで育った実紘でいるしか。
なんだ……あんたが作ってくれる「ミツナ」になりたかったのに。
「案外、美味かったね。はぁ、楽しかった」
頭の悪い俺は箸の使い方を教えてよ、なんて言って悠壱といる時間を引き伸ばした。ラーメン屋に入ると少し驚いた顔をしてる悠壱が面白かった。
「あんたにしてみたら、せっかくのオフに男の買い物に付き合わされて退屈だったかも」
「え? そんなことは」
俺にはああいうとこ、雑多なラーメン屋とか似合わないんだってさ。
そんな、悠壱が思う俺になれたらいいのにね。本物の俺はぜーんぜん違うのに。
「けど、ほぼ一日付き合わせちゃったじゃん。あんた、モテるだろ? 恋人とかにブーイングされたんじゃねぇの」
「まさか……ないよ」
「恋人は?」
「いない」
「へー、いそうなのに。優しいし」
「彼女がいたけど、別れた」
「へー……」
彼女……だってさ。女、いたんだ。相手は女、かぁ。
「その彼女、もったいないことしたって今頃思ってんじゃね?」
「まさか」
息を切らして、せっかくの休みに来てくれたことにはしゃいだ。大はしゃぎ。
けど、女がいたことがあるって聞いて、男の俺は、テンション下げてる。
「おっと」
「!」
ビール飲んでふらついたところを悠壱が腕を掴んで支えてくれた。そのことに口元が緩む。さっき、オフなのに電話に出てくれたあんたが、俺の写真を整理しててくれたって聞いて、口元が緩んだのと同じ感じ。
「ありがと」
「ど、いたしまして」
ろくなものが詰まっていない俺の小さな脳みそでもこの感情の名前はわかる。
「明日さ」
「?」
「朝、早めの来てよ。撮影が丸一日がかりらしいんだよね」
こんな感じなんだ。
「だから、これ」
「……」
こんなにふわふわしていて、気持ちいい感じなんだ。
俺の指先が触れたことがあるものなんて、砂利混じりで、湿っていて、薄汚い色をしたものばかりだったのに。
箸の持ち方を直そうと触れてくれた悠壱の指先も、今、ここで見つけた知らなかったこの感情も、ふわふわしていてあったかくて。もっと触っていたくなる。
「鍵」
もっともっと触りたくなる。
「俺、朝、苦手だから、それ持って勝手に入ってきて、起こしてよ」
この手に触れたくなる。
「宜しく」
その手に触れた。鍵を一つ、その手に渡す瞬間に触れるだけで、あったかかった。
「あんたが寝坊したら、俺も寝坊になるから気をつけて」
バカだけど、ろくなものが詰まってない俺だけど、この気持ちの名前を俺は知ってる。
でも、バカだからさ。わかってなかったんだ。
ゴミ溜めで生きてきた俺にはもったいない感情で、分不相応な相手だって、まだこの時はわかってなかったんだ。
「悠壱」
俺にはもったいないって――。
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