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第60話 朝焼け(実紘視点)
どこで飲まされた?
トイレには行ってない。何を盛られるかなんてわかんねぇから、もしも席を立つ時はグラスを空にしてからにしてる。今日だってそうした。
あったま痛ぇ。
どっかに隙でもあったのか?
酒の味は変わらなかった気がする。
けど、これは多分、何か飲まされてる。
「喉……」
喉が渇いた。なんでもいいから飲みたい。
腹の奥でどろどろとした真っ黒な熱がのたうち回ってるみたいだ。それを腹から引きずり出してしまいたくて、ぎゅっと手でその辺りを弄って……。
「クソっ!」
自分の意思と無関係にガチガチに反応してる身体に苛立って声を荒げた。
靴を放り出すように玄関で脱いで、よろける足で二歩、三歩って進んでいく。倒れそうになるのをどうにか堪えた。触れたもの全てに飛び上がりそうになる。よろけて手をついた壁にさえ発狂しそうになる。
「あの……女……ふざけっ」
――最近のミツナなんか変。どこのお店にも顔出してないって。
うるせぇよ。お前にいちいち俺の予定を教える必要なんてねぇんだよ。俺が変になろうが、お前には関係ない話だろうが。
「っ」
身体が敏感になりすぎて、神経が焼き切れそうなんだ。意識が飛びそうだ。けど、どこもかしこも敏感になりすぎてて、飛びかける意識が何かに触れた拍子に電気をかけられたみたいに飛び起きる。それのずっと繰り返し。
――ねぇ、じゃあ、一杯だけ付き合ってよ。
誰がお前なんかと。
――ダメなら、それでもいいよ。あの、一緒にいるカメラマンの人、ずっと一緒にいるじゃん? あの人、結構好みだから誘ってみよっかな。今日はもう帰っちゃったの? いっつも一緒にいるのに。
ふざけんな。
――私、寂しいからって言って慰めてもらおっと。
ふざけんなっ。
――……一杯付き合えばいいんだな。
お前みたいな女が悠壱に近づくな。
「っ」
どうにかして、よろけながら、壁伝いによりかかりながら部屋に辿り着いた。
「っ、はぁ」
まだ悠壱帰って来てねぇ……じゃん。よかった。
「はぁ、はぁっ」
今、ここにいたら何するか自分でもわかんねぇから。だから――。
「ゆ……い、ち?」
この熱は嫌いだ。ドロドロしていて、汚くて、臭くて、あの部屋を思い出す。
これはいらない。
これじゃなくて。
「悠壱……」
あの熱がいい。指先に触れた悠壱の熱は温かくて、とても心地良いから。
だから、ここには来ないでくれ。
今、ここに悠壱が来たら縋る。
縋って、触れたくてたまらなくなる。俺なんかが触れていいわけねぇじゃん。何勘違いしてんだ。ゴミが。
「はっ」
お前こそだ。お前こそ、悠壱みたいなちゃんとした人間に触れていいわけがない。悠壱はこんな俺とは――。
「ミツナっ!」
自分が嫌いだ。
ゴミが好きな奴なんていないだろ?
だから俺は自分が嫌い。
綺麗に着飾った自分も嫌い。
中身はゴミのままだから。
ゴミがゴミを産んだ。適当に、その辺に。ゴロンと転がされた。
「ミツナっ! いるんだろっ? ミツ、」
俺の親がどうして俺なんかを産んだのか、わからない。
いっつも白い煙を吐き散らかしては、咳をして、息苦しそうにしていた。おもちゃは買ってもらえた。けど、買い与えられるだけで、それをどうやって遊ぶのかはこれっぽっちもわからなかった。遊び方を教えてくれる親はいなかったから。遊んでくれる親はいなかったから。
次から次に買い与えるだけ買い与えられたおもちゃは、ただのゴミになっていく。そして、その度に俺を失望させた。
今度は楽しいのかもしれない、と。
けれど、やっぱり使い方がわからないおもちゃは面白くなかった。ブロックだって、いつも手にただ握ってるだけだった。そして結局、そのうち一個一個どこかに消えてしまう。片付け方がわからなかったし、部屋の中は散らかり放題で、どこかに置いてしまった瞬間にどれもこれもゴミに変わっていく。だからずっと握り締めているしかなかったブロック。けど、それがたった一つのお気に入りだった。
保育園でその遊び方だけは覚えたから。
親がゴミだった。
俺も、ゴミだった。
俺はおもちゃを与えられるただの――。
「ミツナっ!」
ただのゴミ。
「実紘?」
「……ぇ? …………ぁ、わり、ぼーっとしてた」
「……いや」
「たまに、あるんだ。ガキの頃のことを思い出すと、その当時の匂いとか、感触とかが蘇ってくんの。だから、今でもタバコの匂いは無理。即、その頃に引き戻される」
「あ……最初に」
そう。あんたに訊いた。
――タバコ吸う?
――え?
――タバコ。
――吸わない、けど。
――ならよかった。
吸うなら、悠壱には頼めそうもないから。
――ねぇ、あんたさ、俺の写真撮ってよ。三ヶ月間。
「俺の過去、ビビった? 超極秘になってるのも箸の使い方がダメなのも、漢字が読めないのも理由わかっただろ?」
悠壱は目を丸くしてた。
今何時くらいなんだろ。こんなに昔のことを話したのは初めてだ。スカウトされた時、プロフィールを訊かれた時にもこんなには話さなかった。
「実紘……」
ね、なんで、俺なんか産んだんだろうな。大事にもしないくせに。なんで。
「綺麗な名前だ」
「……」
「実るに、おおづな、とも読むんだよ。紘の漢字」
悠壱がそう言って、でかい窓の向こう側で、朝の色が混ざりだした空へ向けて俺の名前を漢字で綴った。
「太い綱、紐、広い、しっかりとした、って意味があるんだ」
実紘って、俺の名前を。
「実紘が、しっかりとした切れることのない綱でたくさん実ある日々を過ごして欲しいって意味で名付けたんだろうな」
悠壱の指先が淡いオレンジ色へと変わっていく空へ描いた。
「綺麗な名前だ」
ねぇ、悠壱。
「実紘によく似合って、」
「好きだよ」
「……」
その指先に触れながらキスをすると、優しくて温かいものが身体に広がっていくのを感じた。ちょうど、窓一面に広がっている朝焼けみたいに。
夜の青色が、温かいオレンジ色に溶けていくように――。
「実紘」
その優しい声に名前を呼ばれて、コクンと頷いた。
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