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第69話 愛おしい人

 男が二人で寝転がっても充分スペースがあるほど、実紘の部屋のベッドは大きかった。でも、俺の部屋のベッドは普通のシングルサイズだから――。  小さな、文句も言われる小さなベッドじゃ抱き合うように眠らないと落ちてしまう。 「せっま」  そう言って、壁側にいる実紘が俺の枕に顔を埋めて笑った。 「だから、うちに来たってって言っただろ」 「ちょー狭い」  文句を言いながら楽しそうにしている。 「……悠壱の匂い、かな」 「え? 変な匂、」 「じゃなくてさ」  そんなことを言われて慌てて飛び上がる。そろそろ三十路っていう文字が気になる年齢だ。つまりは、その年齢的なこととかで臭いのかと、急いでベッドから抜け出そうとしたら腕を引っ張られて、そのままグイッと引き戻され、懐に仕舞い込まれた。 「もうずっと俺のとこにいるじゃん。だから、シャンプーもボディソープも同じ匂い」  そういうことか。  なんだ。 「変な感じ。悠壱から違う匂いがしてるっつうか」 「それなら実紘だって」  今日はうちでシャワーを浴びたんだ。来てすぐ抱き合って、シャワーを浴びて、風呂場も狭いって笑って、そのあと、すっからかんの冷蔵庫にまた笑って、デリバリーを頼んだ。どうせまた明日からしばらく、ここは不在になるから。  モデル「ミツナ」のプライベートに密着するこの仕事はまだしばらく続くから。 「うちに置いてあったものを使ったんだから、実紘だって違う匂いだろ」 「確かにね。じゃあ、俺が悠壱の匂いになったってことか」  なんだか、それは少し……いや、けっこう、楽しい。 「……」  抱き心地はたいしてよくないだろう。けれど実紘は俺を引き寄せて抱き締めたままでいる。懐に仕舞い込むように抱き寄せられてるから、実紘の顔は見えないけれど、声は機嫌が良さそうだ。夜中に、お隣さんを気にしてくれているのか小さいけれど上機嫌な声が頭上から聞こえてくる。 「悠壱から違う匂いすんの……マーキングしなおしたくなるね。ネトラレ設定ってやつ?」  ご機嫌で、楽しそうで、柔らかい声色。 「実紘」 「……ン」  声色だけじゃなく、ご機嫌って顔もしていた。 「ん……ん」  そしてキスも優しくて柔らかくて。 「っン」  気持ちいい。 「実紘」 「しないって、さすがに、そこまで絶倫じゃねぇから」 「……」  キスを終えると、またそっと、ぎゅっと、仕舞い込まれた。 「ね、素の俺……嫌いにならない?」 「ぇ?」  それはまるで不安そうな子どものような問いかけだった。 「モデルのミツナじゃなくてさ、俺」  三日間、ずっと二人で過ごした。 「自信なんてちっともない。いつだってゴミ溜めで育った自分はゴミなんじゃないかって、いつかのあのゴミ溜めに引き戻されるんじゃないかってビビってた」  オフの一日目は二人で部屋で過ごしたんだ。普通の生活をして、抱き合って、実紘の過去をゆっくり話してもらった。 「頭も、育ちも最悪」  二日目は動物園に行った。ミツナはデートに行くとしたらもっとお洒落なバーや高級レストラン、あとはクラブとかかなと思っていたから意外だった。実紘が選んだ場所は優しくて、楽しい場所だった。そこで子どもの頃の夢を教えてもらった。 「そんでもって、性欲旺盛、すぐにあんたに手を出す」  三日目は俺の部屋に来て、些細なことでも楽しそうに笑っていた。窮屈な風呂場に、何にもない冷蔵庫、主がしばらくいなかったせいで冷え切った部屋にさえ、楽しそうにしていた。 「あと、臆病」 「……」 「俺、二回目、悠壱とやった時、言葉遮ったんだ」 「ぇ?」  何を? どんな言葉を? 「俺のことをって、あんたが言いかけた時……」 「……ぁ」  ―― 俺はっ、ミツナのこと。  そう言いかけたところで実紘が言葉を遮ったっけ。 「あれさ、ビビったんだ」 「……」 「もしも俺のことを好きって言ってもらえたら、すげぇ嬉しいけど、絶対に素の俺を知ったら幻滅される。それが怖くて遮った」  自信がなくて、育ちも頭もあまり良くなくて、臆病で。 「ねぇ、悠、」 「箸の持ち方直してあげるの、楽しかったよ」  ファンの間じゃ実紘のプロフィールは妄想が膨らみすぎて大変なことになってるんだ。ハリウッド俳優の落とし子とか。色々噂があるくらい。みんなが知りたくてたまらない本物の実紘。それを俺は知っている。 「臆病なのはいいんじゃないか? そのくらいの方がいい」 「……」 「あとは」  あぁ、あと、性欲旺盛……だっけ。 「マーキング」 「ぇ? 何、悠壱」 「さっき、マーキングしたくなるって言ってただろ?」  大歓迎だ。 「しなくていいのか?」 「……」 「俺に、実紘の匂い、つけなくて」  だって、そんな実紘のことが可愛い。 「悠壱」  この実紘に抱いてもらいたい。 「ネトラレ、だっけ? だから、マーキング……しておかないと、だろ?」  今度は俺も引き寄せて、キスをした。足を実紘の長い足の間に忍び込ませて、狭いベッドの中で落ちないように身体をくっつけて。 「ねぇ、悠壱、もう一個、忘れてた」 「? 何、実紘」 「俺さ……」  体勢を変えて、実紘の重さが身体に乗っかる。  覆い被さるように抱き締められながら、耳元でそっと囁かれた。 「すげぇ、独占欲、強いよ」 「ぁ……」 「知らないお隣さんにも嫉妬するくらい」 「あぁ」  そんな欠点すら愛おしい人を引き寄せて、耳朶にキスをしながら甘く甘く啼いて。 「全然」  火照ってた身体で擦り寄って。 「嬉しいけど?」  恋しい人を誘った。

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