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第72話 正しい答え

 オフ明けの仕事は帰ってきたのがいつもよりもずっと遅い時間になってしまった。 「あ、明日は少し遅くでいいんだってさ。今、マネージャーから連絡があった。なんかクライアント? の都合でそうなったらしい。ラッキー」  夕食はできるだけ早くに食べられるものをと考えた。キーマカレーに野菜をたくさん入れて、雑穀米がいいってネットで書いてあったから、それにすれば夜のこの時間帯でも大丈夫だろうって。鼻歌混じりの実紘が手伝ってくれたこともあって、そう遅くならずに済みそうだ。 「イチャイチャできる」 「!」  そんなに遅くならないな、って、思いながら時計を見たんだ。そしたら、その時計と俺の間に食事中の実紘が身体をずらして割り込んで。 「べ、別にそう思って時計を見たんじゃ」 「えぇ? うっそだぁ」 「ほ、本当にっ」 「えー? じゃあ、イチャイチャしないの?」 「それは…………したい、けど」  そう小さな声で本音を呟くと、実紘が疲れた様子を全く見せず満足そうにミニトマト入りのキーマカレーをパクリと食べた。トマトが苦手だと言っていたけれど、最近はそんなに嫌がらずに食べている。 「でも明日はインタビューとかもあるんだろ?  インタビューは苦手だろ? 前にそう言っていた。言葉を選ばないといけないからすごく疲れるって。 「へーき、むしろ、忙しいから悠壱を補充しとかないと」 「……」 「悠壱がいるから頑張れるし」 「……」  ―― 君がいるとミツナは変わるのかな。 「あ、ねぇ、今日、すっげぇ、バーナードと話してたでしょ。何話してたの? すっごい気になってさぁ。ナンパされてなかった? っていうか、悠壱って英語もできんだね。すげーって思った。俺は全然だからさ」  ―― 君も……カメラマン、なんだろう?  君には申し訳ないけれど。 「俺の方見ててよ。悠壱」  ―― 僕の方がミツナをきっと、魅力的に撮れると思うよ。 「すっごい今日も褒められたんだ。なんか変わったねって。悠壱のおかげなんだからさ。悠壱のカメラでもそれ撮ってよ」  ―― 僕なら最高のミツナを写真の中に切りとれるよ?  興味がない、んだと思っていた。自分のことは少し乱雑に扱おうとするところがあったから、それと同じ様に自分の写真にも特に思うところはないのだと思っていた。  それでもいいと思ってた。そういうところも含めて実紘はミツナなんだって思ったから。  ―― 君にはないスキルを持っている。  でも、バーナードなら、そんな実紘が思うミツナを超えた何かをその写真の中に残せるんじゃないのか? 実紘をもっとすごいところにあの人なら連れていけるんじゃないのか?  実紘が見てみたいと思える、すごいミツナを撮ることができるんじゃないのか?  俺みたいな凡人には切り取れないところを神の目で切り取って、俺にはできないことを彼なら実紘のためにしてあげられる。  実紘にすごいものを与えてあげられる。  スキルのない俺にはできないことだ。世界のモデルなんて撮ったことは一度もない俺には全くわからないこと。  それなのに、俺が邪魔するのか?  俺こそ、妨げたらダメなんじゃないのか?   確かにそう思う自分がいる。正しいのはきっとこっちだ。こっちの俺の考え方の方が正しい。大事な人だからこそ、俺にはできることがないって。  これが、正しい。  正解。  アシスタントとしてそばにいればいいだろ? 実紘から離れたくないっていうのなら、それで充分だろ? 実紘が駄々を捏ねたとしたって、そばにいればきっと理解してくれる。  だって、俺にはあれは撮れないだろ?  ―― あぁ、そうだ。君に見せたいものがあるんだ。  そう言って、バーナードが見せてくれたのは一枚の写真。  ――最高だろ?  あのパーティー会場で彼が衝動的に撮った、実紘の写真だった。  容姿端麗とかそんな形容詞じゃ足りなかった。  とても美しかった。黒いスーツ姿の彼はまるで黒豹のようなしなやかな佇まいで、誰も近寄ってはならないとさえ思えるほど高貴だった。  宝石のようだった。  どんな最高級のジュエリーよりも豪華で、美しく。  世界を魅了する。  あんな実紘は見たことがなかった。  ――君にこれは撮れないだろう?  だから、俺の出る幕などない。  そうかもしれない。  でも、俺にしか撮れない実紘がきっと。  いる、かな?  街のスタジオカメラマンが撮ったものだろ? 向こうは世界だぞ?  でも、俺だって世界で撮っていた。海外で仕事をしていた。個展だって。  それ、被写体は? モデル? 人? ファッション関係?  畑違いだろ?  ただ、取られたくないだけだろ?  実紘をバーナードっていうすごいカメラマンに。  そして、また、以前みたいに遥か彼方にいる人だと、手の届かない人だと、一方的に視線を向け続けて、追いかけ続けるのが嫌なだけだろ?  バーナードだって見抜いてたじゃないか。なけなしのプライドなんてって。もっと高尚なプロ意識でと。  この手は届かないところにいるんだ。バーナードも。 「悠壱?」  実紘も。 「……」  いつの間にかぎゅっと手を握りしめていた。 「悠壱?」  その手を実紘が包んでくれた。

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