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第74話 愛がある

 バーナードが撮った実紘の写真はきっとファンなら是が非でも欲しくなるだろう。  そのくらいに綺麗だった。 「美しい人」という名前がぴったりのそんな一枚だった。あの写真を見たら、ファンじゃなかった人も魅了できるって思った。 「それも見せて。けど、悠壱が撮った方の写真を見せて」  実紘が手を伸ばす。 「悠壱」  今言われたから仕方なく見てやる、ってことなのかと、一瞬、躊躇った俺を力強く、優しく呼んでくれる。 「あ、の、まだ全部はデータ移行してないんだ。カメラの中に結構あって」 「いいよ。一緒にここで見ようよ」  実紘がよくいつも座っている白いソファに、ではなくその足元のラグに腰を下ろした。そして、言われたようにカメラを持ってきた俺の手を引いてその脚の間に座らせる。囲われるように実紘の腕が俺を引き寄せて、背中が密着して、重なった。 「俺、悠壱が撮った写真、好きだよ」 「ぇ?」  そう、なのか?  でもそんな素振りはちっともなかった。  最初の頃、一日の終わりに一応訊いていたんだ。その日、撮った分の写真を確認するかって。一日中、密着しているんだ。その都度見せることは難しいけれど、毎日、その仕事の成果を確認したいだろ? けれどほとんど見ようとしていなかったから。  だからどんな写真でも撮られたものを気にしないんだと思っていた。 「見なかったのはさ」  どんなふうに撮れても「ふーん」って思っているんだろうと、思っていた。 「羨ましいから」 「え?」  羨ましいって、何を?  誰を?  写真に写っているのは実紘本人なのに。  その一言がとても不思議で、振り返ると、確かに実紘はカメラのデータ一覧の中を見つめて眩しそうな視線を向けていた。 「最初さ、悠壱に撮影を頼んだのは適当だったよ。あの時のカメラマンがすげぇ嫌でさ。で、そいつ以外だったら誰でもよかったんだ」  俺はウエディングの写真を撮っていた最中だった。 「けど、三ヶ月の仕事を頼んだのは、悠壱がとった俺の写真を見たからだよ」 「……」 「あれを見て、絶対に悠壱がいいって思ったんだ」  そうだ……あの時。  俺は、あんなにスタッフがいる中での撮影なんてしたことがなくて、少し、怖気付いてた。なんというか、俺みたいな町のカメラマンがここで何してんだろうって思えて。撮り終えた写真のデータを渡して、それで片付けをしていたんだ。スタッフがその俺の写真を取り囲むようにしながらチェックしていたら、少し離れたところにいた撮影を終えたばかりの実紘がその輪に入っていって。  俺はあの実紘に自分の撮った写真を見られてることにものすごく緊張して、思わず声が出たんだ。  ――……うわ……。  そう、声が溢れるくらいに緊張して、そして見られてることに急に不安になった。なんだ、全然ダメじゃんって思われてるかもしれないって。そしたら、その輪からひょこっと顔を上げて、実紘が。  ――なぁ! あんた!  俺のことを呼んだんだ。 「あの時、悠壱の写真を見て、びっくりした」 「ぇ?」 「俺、あんな顔するんだ……って」  そう、だった、のか? 「俺の過去、っつうか、今までのこと話したじゃん?」  ゴミ……って。 「だから、どの写真で綺麗って言われてもね。綺麗だなんて思ったことなかったし。そもそも自分をそんなふうに思えたことなんて一度もなくて、いつかは年食って、落ちてく顔面なんてどうでもよかった。どうせ、今、そばにいる奴ら全員、いつか飽きて劣化した俺をゴミカゴの中にクシャクシャにして捨てるんだろって……思ってた」  実紘が淡々と自分のことをそう話し、俺を抱き締めたまま、俺の手の中にあるカメラ画面に写る自分を眺めてる。  昨日撮った、撮影の合間のふとした表情。これは、スタッフのひとりが急に大きな声を出して、びっくりした時の顔だ。コードに引っかかりそうになったんだ。  その声にパッと顔を上げた時の一瞬。  その次のは休憩時間に撮った一枚。退屈そうにぼんやりしている一瞬。少し眠かったのかもしれない。眠そうな顔に思えて、そういう顔をするのは珍しいから撮ったんだ。 「悠壱が撮った俺ってさ、綺麗とかじゃなくて」  次の一枚は、俺を見つけて、笑った瞬間のだ。  俺が変な顔をしてたんだって笑った実紘を撮った一枚。  綺麗な顔をくしゃくしゃにさせて笑ってる、一枚。 「あの結婚式場のは、優しい顔をしてたから」 「……」 「俺、こんな顔したんだって」  そう言いながら、また次の写真を眺めて小さく笑った。 「悠壱が撮った俺」  そして、後ろから抱き締めてくれる手がキュッと力を込めた。 「俺が好きだって思えた俺」 「……」 「あんなに嫌いで仕方なかったのに。悠壱が撮ってくれた俺はそうじゃなかった」  どの写真もバーナードが切り取ったような美しさなんてない。 「けどさ、絶対に、俺が悠壱が撮ってくれたような俺になれるわけないじゃん? だから羨ましくて、見なかったんだ」  ちっとも勝てない。技術、センスじゃ敵わない。 「でも、ずっと思ってた」  けれど、言って欲しかった。 「いつか、悠壱が撮ってくれた実紘になりたいって」  あんたにしか撮れないって。 「好きだなって思えた自分にさ、いつかなりたいって」  他の誰にもそんなこと思われなくていい。他の誰もがバーナードが撮るべきだって言っても構わない。ただ、実紘に言って欲しかったんだ。 「なってる」 「……」 「俺が撮ってる実紘は、俺がいつも見ている実紘だよ」 「……」 「俺が好きだなって思った実紘をただ」  あんたがいいって、言って欲しかったんだ。 「ただ、撮ってるんだ」  技術も何もないけれど。  ここには――。 「俺の好きな実紘を撮ってる」  技術とセンス以外のものがあると、言って欲しかった。

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