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第75話 一瞬ずつ
――ありがと。
技術も、何もないけれど、俺は、俺が好きな実紘を撮っているって言ったら、実紘が笑ってくれた。
それはとてもとても、胸のところが温かくなるような優しい笑顔だった。
「ほぅ……」
なんか……ふわふわするな。
風呂から上がってタオルで身体を拭いながら、小さく溜め息をついた。疲れたとかじゃなくて、なんというか、あったまった身体から溢れた安堵の溜め息。
実紘の笑った顔はたくさん見てきたけれど、さっき見せてくれたのはそのどれよりも優しいかった。
あんな実紘を見られるなんて。
「……」
―― 俺が俺を好きだって思えた。
すごいな。
――ずっと思ってた。いつか、悠壱が撮ってくれた実紘になりたいって。
なんか、すごい……。
身体の中でどんどん大きくコブみたいになっていった、劣等感とか、遠慮とか、疑心暗鬼たちが、あの時の実紘の笑顔と言葉にほろほろと柔らかく解れていったんだ。
実紘の言葉に、今、こんなにスッキリした気持ちになれるなんて。
「……」
鏡の中に映る自分をじっと見つめた。
こんなことってあるんだなって。何もかもが奇跡みたいなことなのに。実紘に出会えたこと、俺が実紘を撮ること、実紘の、恋――。
「あー、またエロい自分に見惚れてる」
「!」
「ち、違っ」
バスルームの入り口に実紘がいて、腕を組みながら、その開けてある扉のところに寄りかかっていた。
「見惚れてたじゃん」
「だから、そんなんじゃなくて、俺なんかが、」
「なんかじゃないよ」
「!」
その組んでいた腕を解いて俺を抱き締めてくれた。
「濡れる、から」
「いーよ、別に、すぐ脱ぐし」
「……」
先にシャワーを浴びていた実紘は襟口が大きく空いているルームウエアを着ていた。今日の撮影は大変だったはずだ。忙しかったと思う。だから疲れてるだろう。もう寝る用意はできてる、のに。
「その、早く寝なくていいのか? 明日も撮影」
寝ずに待っていてくれた。
「はぁ? 明日は遅めの撮影スタートって言ったじゃん」
「そうだけど。インタビューもあるんだろ?」
それが大の苦手じゃないか。
けれど、実紘はにっこりと笑って、俺をもっと強く抱き寄せる。
「へーき。インタビューでもなんでも頑張るよ」
「……」
「俺にはあんたがいる」
それは、なんてすごいことなんだろう。
俺が実紘のために何かをできてるなんて、そんなことが本当に。
「それにさ、悠壱が風呂入ってる間、写真見てたんだ。あんた、めっちゃ撮ったんだね。すげぇ枚数で笑った」
「! ふ、普通そうだろ。撮影って山のように撮るじゃないか」
「そうだけどさぁ。本当によく飽きないね」
いつもそう言われてたっけ。見惚れる度に、写真に細々と撮っている度に、よく俺なんかを撮って飽きないねって。こんな俺を撮ったってさ……って。いつもそう言っては苦笑いをしていた。
「そんなの、」
「あんなにたくさん、俺は悠壱が撮りたいって思った俺でいられたんだなぁって」
「……」
「嬉しかった」
けれど、今は苦笑いをしなかった。こんな俺をって、悲しくなる言葉を口にしなかった。
「いつでも撮りたいって思ってる。ずっと」
「うん」
俺を抱き締める腕に力が籠る。
「カメラを構えるのを忘れた時もたくさん、撮りたい実紘はいた」
「うん。ありがと」
きつく抱き締められてるのに、その狭さが心地良かった。ほら、また、さっきよりも胸のところがあったかくなっていく。
「けど、俺、いくつかすげぇブサイクだったんだけど」
「え? そんなの一つもないよ」
「あった! あくびしてるところとか、すげぇじゃん」
「あれは、すごく気に入ってるんだ。ライオンみたいで」
「は? 何それ」
「ライオンがのんびりあくびをしている写真みたいで、すごく好きだよ」
「………………それ悪口」
「わ、悪口じゃないって。すごくいい写真で、フレームに入れたいくらい」
「えー。絶対やめてよ」
「なんで」
「なんでもだっつうの。すげぇ間抜けな顔じゃん。他にも朝飯、かな、あれ、苦手なもずく? が出た時の顔、めちゃくちゃ嫌そうだった」
「あは、あれは、可愛くて撮ったんだ。もずく、酸っぱいのが苦手っていうのが可愛くて」
「可愛いかぁ? すげぇ顔してた。あんな渋々食ってる顔とかさ」
「でも美味しかったろ?」
「まぁ? それなりに?」
少し捻くれて、少し返事を濁すのも可愛いなぁって。
「今の俺も写真に撮りたくなった?」
「もちろん」
「今の俺は?」
「撮りたいよ」
俺の撮りたいと思った実紘。
それは実紘がなりたいと思った実紘で。
「今も?」
「もちろん」
それはつまり、いつだって実紘は、そのままで――
どの瞬間だって、とても好きなんだ。許されるなら全部撮りたい。撮って、カメラの中に保存しておきたいんだ。大事な瞬間瞬間を宝物だと思ってる。
「ね、悠壱」
「?」
「あんたから見える俺を全部見たい」
「……」
「全部、見せてよ」
首筋に小さくキスをくれた。甘くて、切なくなる優しい口付け。
「見せて……」
「……うん、いくらでも」
その口付けがすごくすごく丁寧で、泣きたくなるほど幸せなことってあると、俺が彼に教えてもらった。
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