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第81話 『ミツナ』
すごく珍しくて何年ぶりって言ってたかな。
「うわぁあぁ! すっげぇ!」
季節外れの大雪だった。
朝、カーテンをいまだにつけてない寝室の大きな窓から広がる一面の銀世界に実紘が感嘆の声をあげて、その窓に張り付いていた。背中に、少しだけつけてしまった俺の爪痕を踊らせるように飛び跳ねて。
雪は、昨日の夕方から降り出した。最初小さかった白い粒はどんどん、時間が経つにつれて大きく膨らんで、最後はまるで一口サイズにちぎった綿飴が空から降っているみたいだった。だから夜中にはもうすでに積もっていて、ネオンとは違う、優しくも清々しい光を雪が放っているようで、電気を消した後もうっすらと明るく実紘を照らしていた。それが幻想的で、つい、実紘の背中にしがみついてしまったんだ。
三月に降ったとても稀な春の雪。
「見て! 悠壱」
「……うん」
一晩で世界を真っ白に塗り替えて、実紘の全てを綴つづけた三ヶ月のラストを飾るのに素晴らしい背景を作り上げた。
「うひゃあ! つっめてっ!」
実紘がベランダに降り積もった雪を手に握りしめて、昨日とは全く違う真っ青な空に向かって放り投げた。燦々と青色が広がる空へ羽ばたくように雪がキラキラと輝いて舞い散った。そして、ミツナの笑顔も光り輝いて。
「悠壱も来てよ」
「うん。もう少しミツナを撮ってから」
今の、可愛かったな。口を尖らせて、まるで子どもみたいで。
「えー? いいよ、もう」
「うん」
「ねー、いいってば」
甘えてる感じがすごく魅力的だ。
「実紘、手、冷たくないの?」
「冷たい! だから早く来てってば」
「冷たいのと、俺がそっち行くのって関係あるの?」
「ある! すっげぇある! だから、はーやーく」
手袋もしないで雪を手に取って、ぎゅっ、ぎゅって大きな丸を作り始めてる。
「手袋すればいいのに」
「いーの。雪なんてこんな風に触るの初めてだもん」
「そうなの? 子どもの頃、降らなかった?」
「降ったけど……触れなかった。綺麗で」
「……」
実紘と青空と雪、それを撮りつつ、ここがどこだかわからないようにするのって結構難しいんだ。なんてことは気にしない実紘が、俺を何度も呼んでいた。
「……うん、今行く」
カメラを置いた。
俺の返事に嬉しそうに笑う実紘の写真が撮れたから。これで、お終い。
「待ちくたびれ…………った!」
「うわぁぁぁ」
「あはははは、めっちゃ雪まみれー」
さっきっから作っていた大きな大きな雪の団子をそのまま顔面目掛けて投げられて。
「んもぉ……頭から雪まみれだ」
「っぷくくく、いーじゃん」
「よくない。冷たい」
三ヶ月が今日で終わる。今日で、実紘の密着はお終い。
本当は三ヶ月終了記念でパーティーをしてくれるはずだったんだ。レストランを貸し切って、マネージャーから招待されていた。
けれど、この大雪で交通網は麻痺してしまったので、来れない人も多く、延期することになってしまった。頼んだ料理は事務所に持ち帰って内勤の皆でいただくことにするとマネージャーから連絡が来ていた。
つまり、俺たちはこの三ヶ月のラストの一日中を二人っきりで過ごせることになったわけだ。
まるで神様が世界を雪で覆って、俺たちにプレゼントをしてくれたように思えた。
「じゃあ、シャワー浴びてあったまらないと」
季節は寒くて凍えてしまいそうな冬から、花の香り漂う春へと変わる。
「俺も指先、凍った」
「雪を素手で触ったらそうもな、うわぁぁあ! わっ、ちょっ、ちょっ!」
「あったけぇ」
「俺は! 凍るっ!」
「そう?」
服の中に手を突っ込まれて大急ぎで身悶えて。冷たさにはしゃいで、軽装のまま雪の上に転げ回って、バカみたいだ。まるで酔っ払いみたい。
バカで、拙くて、たまに愚かで、たまに愛おしくて。
恋も、そう思う。
「っ……ン」
「凍る?」
「んっ」
バカになるし、感情的に動く拙さがあって、愚かなところがたくさん生まれて。けれどどうしようもなく愛おしい。
「ほっぺた、真っ赤じゃん」
「ンっ」
恋を、した。
「真っ赤……」
彼と、恋を。
季節は変わって、俺の仕事は明日から実紘専属のカメラマンとして新しいスタートを切って、そして、俺たちは――。
「シャワー浴びよっか」
俺たちは。
「ね? 悠壱」
春に。
「……ん」
「ねー、これ超すごいよね! めっちゃいいよね!」
「あ、あたし、これ二冊買った」
「なんで二冊、ウケる」
二冊も……ありがとうございます。
「観賞用と、保存用」
「なるほど。やっぱ、あたしもそれしよっかなぁ。まじで最高だもん」
うわ……すごいありがとうございます。買ってくれるとこを見るのって初めてかも、です。
「あのラストの写真、すっごいよね」
「確かにぃ」
「あれってさ、今年のあの雪んときに撮ったのかなぁ」
「そうっぽくない?」
「えー、あれ誰に笑ってんの? つーか、あんな顔するとは知らなかったし」
それは……。
「うわぁ、くそ羨ましい」
「本当だよー。もうなんでもいい。パートナーのカメラマンが撮ったとか! その人が恋人とか! 男とか! も、どーでもいーけど、くそ羨ましい! あの顔させちゃうカメラマーン!」
は、はーい。
「幸せですかー! つて」
は、はい。
「ねぇ……何、一人で真っ赤になってんの?」
「!」
心臓、飛び上がった。
だって、急に肩が重くなったかと思って、振り返ったら、特別綺麗な顔が肩のところに乗っかってるんだ。実紘が背中を丸めて俺の肩に顎を乗せてるんだ。
「えっちぃのでも読んでんのかと思ったのに。あ、それ美味そう。今度作ってくれんの? 買ってく? そのレシピ本」
「み、実っ」
「打ち合わせ終わりー。さ、帰ろうぜ」
「え、あれって……」
「えええ、え? え? ま、マジ?」
実紘の写真集をもう一冊買おうとしてくれていた女子高校生たちが抑え気味にでも抑えきれずに悲鳴をあげる。そんな二人に実紘が指を口元で一本立てて。
――内緒。
って、した。ミツナの笑顔を向けながら。
「悠壱」
実紘が微笑んで手招く。
「ぅ、うん」
今年どころかここ数年で一番売れている写真集となった。
『ミツナ』
春に出版してからもう何度も重版されてる。そして、この写真集でモデルの枠では収まらないほどの人気になった実紘は、春にインタビューで告白をした。
信じられない告白だった。
周囲は驚愕していた。
マネージャーくらいだろう、驚くこともなく淡々としていたのは。
――特に心配はしていなかったって。
そう言っていた。表情ひとつ変えることなく。そうなると思っていたなんて。
――だって、ずっと実紘を育ててきたんです。貴方が実紘に与えた影響を考えたら……。
その時だけ柔らかく微笑んでいたのが印象的だった。それは兄のように、父のように、実紘を見守り続けていた人の笑み。
実紘は、自身の名をタイトルにしたその写真集と共に、あることを発表した。
「今日、昼飯、外で済ます? さっきさぁ」
――僕には大事な人がいます。その大事な人が僕の三ヶ月を撮ってくれました。……俺は……これを機に引退してもいいって思ってました。最初は、もう今だけチヤホヤされるこの環境がどうでもよくて、でも途中からそれは変わって、自分の全部をここに載っけたいって。それで批判されても、俺は俺だからって。
「ここに来る途中にあった」
――作ってない俺です。そんで、それを最愛の人に撮ってもらえた、もうこれ以上はないから、これで拒否されるとしてもいいって。
「「ラーメン屋」」
声が重なって実紘が笑った。
俺も笑って。
――俺にとってこの三ヶ月は、生まれて初めての物ばっかりでした。すごく。
あの日、ミツナが俺に声をかけたあの日から、季節が変わった。冬が春へ。
――幸せです。
そして、恋の形を、濃さを、深さを変えて、別の。
「腹減ったぁ」
別の……。
「ね、悠壱」
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