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初旅行編 8 満天の星空

「すげ……」  露天風呂に浸かりながら、夜空を見上げて、実紘がそう呟いた。  本当に近くに誰もいないんだな。  明かりを消してみると、周囲は本当に真っ暗になった。それを考慮してあるのか、小さな照明が一つ、白い小石を敷き詰められている中庭に設置されてあって、部屋の明かりを全て消しても、周囲を確認して歩くことができる。 「星ってこんなにあるんだ……」 「あぁ」  満天の星空だ。 「あ、けど、アフリカとかならもっと見えんの?」 「まぁ、そうだな。見られるよ」 「へぇ、そっか。こっちよりもすごいんだろうなぁ。俺はこれでもすごいと思うけどさ」  うっすらと実紘が髪をかきあげたのが見えた。それから腕を湯から出した拍子にポタタタと雫が落ちる水音がする。 「星なんて見ようと思ったことなかったなぁ。世界に綺麗なものがあるなんて知らなかったし。ほら、家が異常ってわかって出た後もろくな生活してなかったからさ。夜なんて繁華街ウロウロするばっかで、見上げたって何も見えないし」  都会の夜は星空なんて望めない。  見上げても、頭上に広がるのは黒色にもなれない灰色をした味気のない夜空だけ。 「あ! ねぇ、明日、湖の方行ってみたらさ、ボート乗ろうよ」 「いいよ」 「それからさっき部屋の案内みたいなのに書いてあった美術館も。俺はあんま美術のことわからないけど、悠壱はきっと楽しいでしょ? 写真」 「そうだな」 「それからさ」 「楽しそう」 「?」  声が弾んでる。真っ暗ではっきりとは見えないけれど、声だけで今どんな顔をしてるのかがわかる。 「旅行」 「そりゃ、楽しいよ。また長めの休みが取れたら行きたい。次は海もいいなぁって。また車移動になるけど、そしたらさ、二日オフあれば近くの海水浴場のとことか行けるじゃん?」 「貴重な休みなのに? 疲れ取れないだろ」 「へーき。あと、冬にはスキーとか? 雪山行ったことない。また悠壱と雪合戦したいし」 「あのベランダのみたいに? あれを?」 「そ」 「旅行、はまった? 撮影であっちこっち行ってないところなんてなさそうなのに。それに、スキーでもスノボーでも実紘ならすぐにできそう」 「……やっぱやめとこ」 「?」  今度は、少し難しい顔をした、気がする。 「転んでダサいとこ見せたくない」 「…………むしろ、見てみたい」 「はぁ? やだよ」 「なんで」 「ダサいから。そもそも俺、そんないいものじゃないの知ってるでしょ。これ以上不恰好になりたくない」 「実紘がダサかったら、俺を含めた大概の男はどうなるんだ?」 「悠壱はダサくないって」  そんないいものじゃない……わけがないのに。不恰好だなんて思ったことだって一度もない。 「……悠壱といると世界が違って見える」  今は、少し微笑んだ……気がする。よく見えないけれど、声がそんな感じの柔らかさがあったから。 「窓から見える景色も、食べ物も、風呂も」 「風呂も?」 「そ。世界ってこんなだったっけって……」  俺は、そうじゃない。 「俺、撮影とかであっちこっち確かに行ったけど、夜遊びして外フラフラして、ホテルで寝るだけだったからさ。そもそも旅行とかあんま楽しいと思ったことなかったから」 「……」 「小学生の時にあるじゃん。学校行事で。それが嫌だった。うちが異常なんだって、周りと全然、俺だけ違うんだってわかるから」  丸々一日一緒に過ごす。学校での生活では遭遇しない楽しい時間。夜の過ごし方、風呂、夕飯、隣に同級生がいるなかで眠る瞬間。どれもこれもが特別で楽しいこと、のはずだけれど。それは実紘にとっては少し違っていた。切り取ったように学校にいる時間だけが、実紘の日常のなかで別枠にあった。綺麗な机の上、掃除、配膳を自分たちでして食事をして自分達で片付ける。それは学校の中でだけ行われる特別な習慣。  だったけれど。  でも宿泊みたいな学校行事ではそれが普通で、実紘の日常が「異常」だと気がついてしまう。 「で、中学からはそういうイベント全部ばっくれてたし。そういう金、学校に払ってたのかも分かんねぇし。だから、そもそも行かせてもらえなかったかもしれないけどさ」 「……」 「旅行がこんな楽しいって知ったの初めて」 「……」 「悠壱がまたひとつ教えてくれた」  俺は、そうじゃない。 「だから、明日もすげぇ楽しみ」  俺といると世界が違って見えるという実紘。  でも、俺はそうじゃない。  俺にとっては――。 「明日晴れるかなぁ。こんだけ星が綺麗なら晴れるよね」 「星も綺麗だけど」 「悠壱?」  手を伸ばして、実紘に触れた。  濡れた髪を指で撫で付けて、そっと動くと、水がちゃぷんと音を立てる。 「これじゃ、実紘が見えない」 「……」 「……見えた」  跨って、星空を観る邪魔をした。 「……ん、実紘」  そのまま視界を遮ったまま、そっと口付けて、腰を揺らした。 「あっ……ン、入って……ぁ、あっ」  誘うと、手が応えてくれる。腰を掴んでそのまま貫いてくれる。 「あぁぁっ」 「悠壱」 「あ、湯がっ、入っちゃ……ぁっ」  ゾクゾクっと快感が駆け抜けて、揺さぶられた拍子にお湯が派手な水音を星空に響かせた。 「あっ……ぁ」 「悠壱」  うっとりとした眼差しで俺と、その背後に星空を見つめる実紘にしがみついて、キスをした。  俺はそうじゃないから。  俺は――。 「あ、もっと、して欲しいっ実紘っ」  俺は高大は星空を眺めて、地平線の向こうから昇る朝日も沈む夕日も、全部の綺麗なものよりも。 「実紘っ」  綺麗で儚げで、しなやかな実紘が「世界」になったんだ。 「あっ」  実紘が、俺の世界になった。

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