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初旅行編 10 モデル
何かと思った。
「悠壱!」
俺の名前を呼んで、実紘がまたシャッターを押した。カシャ、と聞き慣れた音が自分のすぐ近くではなく、実紘から聞こえてくるのがとても不思議で、どこに視線を向けたらいいのか迷ってしまう。
ホント、何を言い出すのかと……。
――ね、悠壱、あのさ、カメラ、今日一日俺が使いたい。
そんなこと言われるなんて。
もう仕事として実紘のプライベートに密着しているわけでもない、この旅行は完全なプライベートだし、ここで撮った写真は全て仕事には使うことのないもの。
だから撮らなくたっていい。
ただ撮りたいから撮ってるだけ。
「ちょっと歩いてみてよ」
「そ、そんなの、実紘みたいにモデルじゃないんだから難しいよ」
「フツーに歩けばいいんだって」
そのフツーに歩いてサマになるとは思えないから身構えるんだ。
モデルってすごいな。とても難しい仕事だとは認識しているけれど、自分がいざその撮られる側に回ってみると、思っていた以上に難しくて、途方に暮れてしまう。
言われて、どう歩けばいいのだろうと迷いながら、白樺の森の中をなんとなく、ぎこちないまま歩いていく。綺麗に整備された散歩道は森林浴を楽しめるように緻密に計算されてるんだろう。どこを切り取っても雰囲気のある写真になると思った。
――カシャ。
その白樺の木を見上げると、葉の隙間から差し込む日差しに目が眩む。と、同時にまたシャッターを切る音がした。
そして、またぎこちなく、自分としてはブリキのおもちゃでも歩いているように見えてると思う俺の散歩。
懐かしいな。
実紘っていう素晴らしいモデルばかり撮っていたから。
前はこんな感じに撮られることに不慣れな人を撮り続けていたっけ。
「あ、あれじゃん? 美術館」
実紘の指差した先にシンプルだけれどモダンな造りの建物が見えてきた。木々に囲まれた中、突然出現した美術館は外から見るととてもこじんまりとしているように見える。
「わ……すごい」
けれど、中に入ると、外観からは想像できないほど広々とした空間が広がっていた。チケットを俺が二枚買って実紘のもとに戻ると、またもう一度、シャッターを切る音。どうやらまだ撮影会は続いているらしい。
「俺なんて撮って面白い?」
「スッゲぇ面白い」
ご機嫌だ。
サングラスをしながらカメラっていうの、なかなかに変な風貌だけれど。実紘は口元を緩ませ、声を弾ませながら、カメラを握りしめたまま、ファインダー越しに俺を眺めてる。
「とりあえず行こうぜ」
「ん」
そのご機嫌な様子はまるで新しいおもちゃにはしゃぐ子どもみたいにに無邪気だった。
美術館の中は平日だからかそんなに込み入ってもいなく、ゆっくりと美術品を鑑賞できた。ひとつひとつに足を止めて、じっと見つめていても誰かに次を急かされることもない。写真作品はないけれど、それでも、どれひとつとっても興味深くて。
「……楽しい?」
そう、小さな声で実紘が呟いた。
「楽しいよ」
「やっぱ、そういうの見るんだね。俺、芸術とか全然わかんないから、何見ても別に、だけどさ」
「そう? ひとつひとつに魅せるための工夫がされてて楽しい。畑違いではあるけど」
「……ふーん」
写真は一瞬を切り取る。
でも美術品のほとんどが一瞬ではなく、いつか誰かが見るだろう視線を思って、作り上げられていく。時間も考え方も違うけれど、でも、人に見てもらうためっていう共通点があって。
案外、夢中になって見入っていた。
「……実紘?」
どこではぐれたんだろう。
気がつくと、実紘がいなくて。
慌てて引き返した。
途中からカメラ越しの視線も気にすることなく、目の前の美術品を観察することに集中していた。さっき、陶器とかの辺りでは少し話をしたから、きっとそこまでの間に、はぐれて――。
「あ、あのっサインとか、今いただくこと……」
「いいよ。けど、プライベートで来てるんで」
「は、はいっ」
そんな会話が聞こえてきた。
そりゃ、サングラスひとつで覆い隠せるわけがないんだ。目元を隠していたって、どう見てもただの一般人とは思えない容姿をしているんだから。
そっと様子を覗き込むように顔を壁から出すと、ちょうど実紘が、ファン、なんだろう、女性に外向けの優しい笑顔を口元に浮かべながらサインをしてあげているところだった。
実紘には恋人、パートナーがいて、しかも自身専属のカメラマンで、男性、ということまで公開されていることだから、俺がそこに顔を出してもいいんだけど。でも、モデル「ミツナ」の邪魔になるかなと、ファンへの対応が終わるまで、近くをぶらぶらしていようと思った。
サインが終わって、握手して、そしたら、きっと順路に沿って実紘がこっちに来るだろうから、それまで、少し離れたところで待っていよう。
邪魔になりたくない。
それに、女性に優しく対応している実紘はあまり――。
「あ……あの……」
今度は美術品に見入ることなく、早く来ないかなと実紘を待ち構えていた時だった。
「佐野……さん、ですよね」
びっくり、した。
「カメラマンの! 佐野、悠壱さん……ですよね」
そんなふうに声をかけられるなんて思ってもいなかったから、びっくりしてしばらく黙り込んでしまった。
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