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二人で媚薬編 7 カサつく

 今日と明日は撮影で、帰りは……十時くらいって言ってたけど、どうだろう。多分って、言ってたし。だからまだ帰ってないと思った。夕方なんて、きっと撮影真っ最中だろうって。 「!」  そう思いながら、帰宅すると、玄関に実紘の靴があった。  帰ってる。パッと顔を上げて、リビングへと小走りで向かうと、実紘がソファのところで台本を読んでいたところだった。 「あ、おかえり」 「た……だいま」  いるとは思ってなくて、少し、びっくりした顔をした俺をしばらくじっと見つめてから、実紘は広げていた台本を閉じて、グッと背中を伸ばした。 「打ち合わせどうだった? 動物園の」 「あ……うん、これからまだ寒くなるし、すぐに撮影ってわけじゃなくて」  本当に顔合わせ程度で終わったんだ。動物園がこういう場所だってことを理解して欲しい、それから理解した上で動物に会いに行きたいと思ってほしい、そんな写真集にしたいと担当になるだろう女性スタッフと雑談混じりで話して。多分、一時間くらい。お茶をしながら動物の話もした。飼育員と元動物カメラマン、立場は違うけれど、動物に対しての捉え方とか似ているところがあって、案外話が弾んで。 「そうなんだ」 「撮影は、多分、春先からかな」 「へぇ」 「出産ラッシュの頃」 「あ、なるほど」  可愛い動物の表情が取れるだろうしって。それから園内にも花がたくさん咲いて、そんなところも撮ってほしいと言われた。 「じゃあ、受けるんだ。その仕事」 「あ、うん」 「頑張ってね」 「……うん。って、実紘はまだ仕事終わってないのか?」  気になっていた。朝、スタジオに行く時に来ていた服と違っていたし、それに、普段の実紘なら選ばない気がするタイプの服だったから。あまりプライベートでは服にこだわる方じゃないはずだし、そんなにきっちりした服は着たがらないから。 「撮影が長引いてさ、帰れるの、日付変わりそう」  そう、なんだ。 「今、俺の出番のとこ、ポッカリなかったから、ちょっとだけ帰らせてもらったんだ。マネージャーにちゃんと許可取ったよ?」  にっこりと微笑んで、今朝、出かける時に持っていたコートをまた腕に引っ掛け、台本もその手に取った。 「ぇ、もう?」 「悠壱の顔見に帰ってきただけ」 「え?」 「日付変わっちゃうし、明日も撮影で忙しいし。悠壱も明日は別の仕事入ってるでしょ?」 「ぁ、うん」  ミツナの専属カメラマン、ではあるけれど、それもあってか知名度はまた少し高くなったから。明日は大学で講義をしないかって呼ばれてるんだ。工芸系の大学で。俺の経歴は少し変わってるから。自然にフォーカスを当てる写真家から、ファッション、芸能関係へとカメラのレンズの向ける先を変えたカメラマンっていうのは多分珍しい。  ミツナの専属になってから、こういう話をちょくちょくもらうようになった。 「だから、顔見たかった」 「……」 「下にマネージャーいるから、行くね」 「え! じゃあ、急がないとっ」  待たせてると思ってなくて、というか、俺の顔見たいがために待っていてくれて、尚且つ、マネージャーにも待ちぼうけなんてことをさせてるなんて申し訳ないと慌てると、そんな俺の逆を行くように、実紘がゆっくりと首を傾げる。 「大丈夫、マネージャーも多分仮眠とか取ってるんじゃん? 急かすなら電話かけてきてるし、急いでるなら、俺もちゃんと行ってたよ」  本当に?  でも以前のミツナならきっと待たせても平気そうで。 「だから」  でも、最近の実紘は確かにマネージャーをそういうプライベートで待たせたり、なんてしなそうで。 「……」  そんなことを考えていると、それを邪魔するように、そっと指先を実紘の長い指が捉えた。  握られて、触れたのはたったの少し。指の先だけなのに。心臓が跳ね上がる。 「……大丈夫」  低音が耳にくすぐったい声がそっと告げて、言葉が吐息と一緒に唇に触れる。 「……」  柔らかくて、でも、少しカサついたキスだった。  声も、掠れてた。 「じゃ、また行ってくるね。大学の講義、頑張ってね」 「……ぁ……うん」  唇が離れるのが名残惜しくて、小さく、とても小さくだけれど溜め息が溢れてしまった。その口元をじっと実紘が見つめてから、パッと優しい笑顔を向けてくれる。 「ドラマ頑張って来るからさ」 「うん……」  いいよ。そんなに頑張らなくても。  なんて、言ってはいけない言葉がキスをもらったばかりの口から溢れ落ちそうで、きゅっとそれを結んだ。 「……行ってらっしゃい」  もう見送る言葉を言った頃には実紘はいなくて。 「……なんだ」  じゃあ、早く帰ってくればよかったな、なんて、溜め息が溢れた。  顔合わせの後のあの他愛のない会話も、その後、何か明日の参考になるかなと立ち寄った本屋も。そんなの後回しで、実紘がいるのならここに一目散に帰ってきたのに、と、今更なことを思って、ソファの実紘が座っていた当たりに腰を下ろした。  少しだけ、実紘の体温が残ったソファに、横たわって、目を閉じて、ついさっき触れた珍しくカサついていた唇のことを思い出していた。

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