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ハッピーバレンタイン編 1 逢瀬
「じゃあ、こちらで数枚、また選んでおきます」
「よろしくお願いします」
斜め向かいに座ってた編集担当の女性が、ふぅ、と一つ溜め息をついて、テーブルに広げたタイトルフォントの資料をひとまとめに束ねた。
「佐野さんのおかげで仕事が進むので助かってます」
「そう、ですか?」
「えぇ、やっぱり専属カメラマン、だからですかね。佐野さんが撮って、その中でも厳選された写真ってすごくて、たまに、ハッとしちゃうことがあるんです。ミツナの魅力が一枚一枚に凝縮されてるというか」
そう、なのかな、と、やたらと絶賛してもらった照れ臭さに、なんと答えていいのか困ってしまう。
今日は、「ミツナ」の出す写真集の打ち合わせに来ていた。こういうの、普通は誰が担当するのかわからないけど、ミツナのビジュアルに関することは、なんとなく全て専属カメラマンの俺を通すこと、みたいなルールが最近出来上がっているっぽくて。
実紘が言うには、ミツナのことを誰よりもわかってるのは俺、なんだそうで。
「じゃあ、ここで失礼します」
深くお辞儀をして編集部を出ると、まだ二月の寒さにちょっと肩をすくめた。
とりあえず、今、打ち合わせが終わったことを連絡しておくか。まぁ、そのメッセージを見る前に俺がスタジオに着くとは思うけど。
駅へと向かいながら、ぽつりぽつりと文字を打っていた。
ミツナは今日も撮影だ。
と言っても、写真じゃなくて――。
――その真実を逃さない。
ふと、見上げたら、そんなフレーズと一緒に「ミツナ」が鋭い視線を足元を行き来する通行人に向けている。
この一月から放送が開始された刑事もののドラマの広告ビジョン。
ミツナはそのドラマの主演で、どんな事件の真相も必ず暴く、優秀な刑事役だ。
評価は上々。視聴率も良いらしくて、同じ時期に始まったドラマの中で一番人気らしい。
ただ本人はわからない単語がありすぎて、台本を読んでいると頭が痛くなるって言ってたっけ。
刑事ってすごい仕事だと感心していた。
それから刑事役だから一日スーツを着ているのだけれど。それが窮屈なようで、よく毎日こんなものを着ていられるって、それにも感心していた。ミツナもモデルの仕事でスーツは着ている。着こなしは素晴らしいし、スーツそのものにも慣れてる恥ずだけれど、環境が違うからだろうか、着心地があまり良くないそうだ。
「……スーツ、似合ってるけどな」
目の前の大きなビジョンに映っている「ミツナ」を見上げながら、そんな独り言がこぼれた。
至る所に「ミツナ」がいる。
特にこうして、ミツナと一緒に行動していないと電車にも乗るし、街を歩くからだろう。本当によく「ミツナ」を目にするんだ。同行している時は基本車移動だから。
今、「ミツナ」が変装もせずに電車に乗って、スタジオや他の仕事場まで歩いて向う、なんてことをしたらパニックになるんだろう。
その人気はドラマの主演に抜擢されて、一気に高まった気がする。
前にドラマに特別出演した時、マネージャーが、主演のオファーが来るのも時間の問題なんて言ってたけれど。
「本当にあっという間だ……」
そう思わず呟いた。
ドラマの撮影に写真カメラマンは必要じゃない。
だからこうして同行せずに、別の、ミツナの役に立てる仕事をすることも多くなった。
今日は少し早めに帰って来るのだろうか。
そんなことを思いながら、さっき送ったばかりのメッセージにまだ既読もなにもついていないことを確認した。
人気は上々だけれど、撮影は少し難航しているようで。予定が押してるらしい。毎日忙しそうだった。セリフを覚えるのも大変なんだろう。ドラマのクランクインしてから日増しに帰りの帰宅時間が遅くなってきている。
どんどん――。
「……」
どんどん。
「お兄さん、ちょっとどこかでお茶しよーよ」
「!」
びっくりして思い切り振り返ってしまった。
「! ちょっ、なにっ」
だって、声をかけてきたのは、今、正面の大画面に映ってる「ミツナ」で。
「あはは、すごい驚いてる」
「ちょっ、実っ……紘……」
思わず大きな声で名前を呼びそうになったじゃないかって、慌てて声のボリュームも最小まで抑えた。
今さっき思ったばかりなのに。ここにもしもミツナが現れたら街はお騒ぎになるだろうって。
「実紘、マネージャーさんは?」
「んー、撮影現場」
「はい?」
「置いてきたんじゃないよ? 今、空き時間。んで、今日、俺の写真集の打ち合わせをするって言ってたじゃん? 撮影現場が近かったから来てみようかなって」
みようかなって、そんな散歩にでも行くみたいに。
「だって、昨日、めちゃくちゃ遅くて、悠壱の声聞けてない」
「!」
「だから聞きたかっただけ」
「そん……」
そんなのいくらでも聞けるだろう?
「じゃあ、そろそろ戻るね。んで、今日は絶対に早く上がって帰るから。待ってて。俺の写真集の打ち合わせ、ありがとう、お疲れ様」
こんなところにメガネとマスク程度の変装で出歩いてたらダメだろう? って、言うべきだったんだろうけど。
「……」
嬉しくて、言えなかった。
声を聞きたかったのは、俺の方だったから。
そして。
「……」
今、実紘が捕まえて乗り込んだタクシーの中で見たらしく、俺のメッセージに既読がついて、今日はまだNG出してないよって、メッセージが返ってきてた。
――
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