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ハッピーバレンタイン編 6 明日やっと
ラウンジのカレーが美味しんだよ。
インドでもタイでもなく、日本のカレーで。
好きだったな。出発する時も帰りもそこで毎回食事をしてたっけ。帰ってきたって感じがしてホッとするんだ。逆に行く時は、これで食べ納めっていうかさ。
けれど、もう何年も食べてないな。
ラウンジは出迎えに来た人間は入れないし。
明日の夕方には飛行機が到着するから、その時間に迎えに行こう。時差ボケしてるかな。
「……うん。うんうん、すっごく良いと思います!」
「!」
今日、実紘が帰ってくるからその時のことに考えを巡らせていたら、担当の女性の華やかな声がした。パッと顔を上げると、選んだ写真に満足してくれたのか、頬を紅潮させてニコッと笑ってくれている。
「大丈夫そうですか?」
「もうもう大丈夫なんてレベルじゃないです! これでいきましょう! 行かせてください!」
満足、じゃなくて興奮するくらいに大満足、してくれたみたいだった。
もう一度、ゆっくり選び直したんだ。
ミツナの写真集に使う写真たちを。
選ぶにあたって、自分なりにテーマのようなものも考えた。
会いたい人、でも、会えないところにいる人。
けれど触れてみたいその人のプライベートの中にいるような写真がいいなって。
そんなイメージで選んだ。
まさに今の俺がそれだ。
会いたい人が今、どこでどんなことをしているんだろう。どんな顔をしているんだろう。どんな顔でどんな人と、何をしているんだろう。そんな気持ちで選んだ写真たちだった。
今、起きた?
今、食事中?
眠い?
楽しい?
疲れた?
退屈?
そんな問いかけをしながら。
「……素敵。こんな表情豊かな人なんですねぇ。知らなかった。佐野さんの前でならもっともおおおっと表情豊かなんだろうなぁ」
彼女はそう呟いて。
「ありがとうございます。またレイアウトをデザイナーの方といくつか作るので、できたらメールで送りますね」
写真のデータが入ったノートパソコンをパタンと閉じて、笑って、怒って、困って、たくさんの「実紘」が混じった「ミツナ」をその中に閉じ込めた。
一日分くらいなら食料も準備した。
編集者との打ち合わせの後は買い物していた。買い物っていっても日用品と食材を求めにスーパーマーケットへ。両手いっぱいになった荷物を持って帰宅したのは夜になった頃だった。
掃除は……明日の午前中にしよう。
それでとりあえず、実紘が帰ってくるまでにしておきたいことは全部終わる。
時差八時間はけっこうきつい。
もしかしたらあんまり食べたがらないかもしれない。
それこそ、バレンタインだからと買っておいたチョコレートを少し食べて、もういい、なんて言い出しそうだけれど。
スープパスタくらいならサッと食べられると思う。
眠いだろうから、ぐっすり寝ていて欲しいんだ。だからできるだけ外に出なくて済むように。俺が外に買い物に行くって言ったら、付いてくる気がする。だから冷蔵庫は充分に充しておいた。掃除もしておけば、この長期休暇の間はのんびりしていられるし。
そもそも常に寝不足状態みたいなものなんだ。仕事の時間は不規則だし、帰りが日付を変わる頃なんてことも珍しくない仕事だから。
ここでたっぷり休めるのなら、たくさん寝て――。
――ピンポン。
「?」
宅配? は、頼んでないけれど。
実紘が何かオーダーしてた?
時計を見ると夜の九時を過ぎていた。だから宅配ってことはないだろう。
居留守を使おうと思ったところで。
――ピンポン。
もう一度、インターホンが鳴らされた。
怪しいに決まっている。だから無視するのが一番良い。
普段ならそうしていたと思う。
実紘の仕事は人の目に晒されることが多い分、身バレの心配はいつもついて回る。事務所が徹底してくれてるおかげで今まで大丈夫だったけれど。もしかしたらストー、……。
「!」
今、マンションの正面エントランスにいる人物が映し出されていた。インターホンのところに据え付けられているカメラ映像と、頭上からの監視カメラ映像。
正面のインターホンカメラには立ち位置がズレたのか、わざとずらしているのか、そこにいる人の胸元が映し出されていた。
頭上のカメラには黒の上下にフードまで被ってる男が映っていて。
「は、はいっ」
疑問符が頭の中に浮かぶより早くインターホン越しの彼に答えていた。
帰国は明日のはず。
海外ロケの予定はびっしり入っていたはず。
そんな急遽なんかで帰って来れる距離じゃないはず。
「っ」
マンションの部屋を飛び出して、エレベーターに飛び乗った。いつもだったら思うことなんてないのに、今はエレベーターの降下が遅くて遅くて。けれど、行き違いになることはないはず。高層階住居者専用のエレベーターで、尚且つエリアごとに使うエレベーターが異なっているから。
だから、行き違いにはならないけれど。
「なんでっ」
ようやく地上に到着したエレベーターから飛び出すように、さっきのエントランスに向かうと。
「あはは、びっくりした?」
そう、子どものようにはしゃぐ実紘の声が、夜遅く、誰もないエントランスに響き渡っていた。
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