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第9話

 * *    都心の超高級ホテルのパーティ会場には、キラキラとした内装に負けないくらい、綺羅びやかな人々で溢れていた。  入口でつまみ出されるんじゃないかとヒヤヒヤしていたオレを他所に、七央はさすがというかやっぱりというか、それはそれは堂々とした振る舞いでさっさと受付を済ませ、オレの手を引いて会場へと進んで行く。  そこかしこから色んな匂いや視線が飛んできて、オレは早々に人酔い…、もといフェロモン酔いしていた。  時折 ふ…、と、鼻をかすめるラベンダーみたいな香りだけが唯一の癒やしで、けれどその香りの元が何なのかは分からなかった。  七央もその会場に溢れる混じり合った匂いに、時々顔をしかめては『アルファ臭い』と文句を言っていた。  どうやらこの会場に、七央のお気に召す香りは無さそうだ。ちょっとだけホッとした。   案の定というか致し方ないというか。予想していた通り七央はあちらこちらから秋波を送られヘトヘトになっていた。終始オレの小さい背中に引っ付いて離れず、亀の甲羅の如く七央を背負ったオレもクタクタになってしまった。そこへ手を差し伸べてくれたのが九条家の三男である、この九条流星くんだ。  『おーい、そこの眼鏡のおチビ達。こっち来いよ』  何とも失礼な口の聞き方だったけど、ヘトヘトとクタクタだったオレ達にはその飾らない物言いが逆に有り難く、彼に誘われて会場奥のサロンにフラフラと着いて行き、人目…、もとい、アルファ目から逃れられてホッとしたんだ。  『あ、ありがとうございます。もう、クタクタだったんで助かりました』  『俺もー。 早く帰りたいよなぁ』  来たくもなかったのに兄貴に無理矢理連れて来られたんだと言う彼は、オレ達の為に給仕に温かい紅茶を頼んでくれた。  広い会場の奥にあるそのサロンには、あの時感じたラベンダーの香りが漂っていて、そのせいかクタクタだった筈なのにオレはすっかり元気になった。何なら少し眠気も感じたくらいだ。  そこはどう見てもVIPルームなのだけど、彼があまりにもリラックスして自然に振る舞うから気付かなかった。  温かい紅茶にひと息ついた頃、七央がポツリと『ここ、入っても良かったのかなぁ』と呟いた。え?、とそこで初めてその部屋を見渡して、その豪華絢爛さに背筋が凍る。  『ああああのっ!ここここ、こっこ、こっここはっ、どどどど、どっこ、どど何処ですかっ!』  あまりにも場違いなその部屋に、小僧三人で優雅にお茶なんて飲んでちゃ不味いだろ! …と思ったのに、ワタワタ慌てふためくオレをビックリ顔で見ていた彼は、  『あははははっ! 何だよお前、ニワトリかよっ。面白い奴だなぁ』  『……ちょっと理央。 落ち着きなよ』  落ち着き払う七央と、身体を折り曲げ爆笑するアルファらしきその彼に、かぁっと羞恥を煽られる。  恥ずかしいっ! 昔から突発的なイレギュラーが起こると、吃音気味になってしまうのがコンプレックスだった。見ず知らずの人の前でこんなに酷い吃音になった事が恥ずかしく、堪らず七央にしがみつく。  七央の綺麗な指がよしよしと背中を撫でてくれる。それに漸くほっとして振り向くと、さっきまでゲラゲラ大笑いをしていた彼は、ポッと頬を染めてこちらを凝視していた。  『な…、なんか、いい匂いがする』  鼻をヒクヒクさせて惚けた顔でそう言う彼は、そこで漸く七央を意識したようだ。  人が恋に落ちた瞬間を目の当たりにしたのはこれが初めてじゃないけれど、何故だかその時のオレはチクリと心に針を刺された気持ちになった。  彼の視線の先には七央がいて、オレの事なんか視界にも入っていなかった。そんな事は日常茶飯事でこれまで何度も経験があったのに、そのチクリの理由が何なのか分からない。  なんだ。また七央か。そりゃそうだよな。  そんな言葉が脳裏に浮かび、スッと冷静さを取り戻す。  『大丈夫? 理央。 もう落ち着いた?』  『うん。大丈夫。 ありがと七央』  『ななお? おま、…いや。あ、あなたは、ななおさんとおっしゃる…』  最初とは打って変わって、たどたどしい敬語で七央に話しかけてくる彼は、しどろもどろになりながら、聞いてもいないのに自己紹介をし始めた。  『お、…私は九条と申し上げます。九条流星です。○△大学、経済学部2年。もうすぐ二十歳を迎える射手座のO型。趣味は読書と映画観賞。それとアウトドアもキャンプも好きです。車とバイクの免許も持ってます。ついでに料理も裁縫も得意です。な、ななおさんのお好きな食べ物は何ですか? 何でも作って差し上げたいです』  『……九条? って、あの九条家の、』  『はいっ! “あの”、九条家のアルファです! ななおさん! お…、ぃゃ。 わ、私の番になってくださいっ!!』  片膝をついた上位アルファ種の九条流星くんは、プロポーズさながらに七央に向かって右手を差し出した。    九条家と言えば、宝条家、中条家に次ぐ三大名家の一つ。そこのアルファとなれば、今日このパーティに招待されているどのアルファよりも遥かに位の高い超優良物件。  ちょっと中身に難ありげだけど、九条家のアルファと聞いてフィルターが掛かった。  七央の未来をこの上なく豊かにしてくれそうなこの申し出に、オレは眼鏡の奥を光らせた。  『な、七央っ! よかっ……』  『嫌です。 僕、初対面で番になってなんて言う人、キライっ!』  オレの思惑とは裏腹に、七央の九条流星への評価は地の底深くまで落ち込んだ。  人が恋に敗れる瞬間を目の当たりにするのもこれが初めてじゃないけれど、これ程までに打ち拉がれたハンサムを見たのは初めてだ。  それと…、何故だか分からない安堵を覚えたのも初めてだった。

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