5 / 7
第5話
電話口でぎゃんぎゃん騒ぎ立てる同居人を、宥め賺し叱り付けながら帰路につく。
途中で頼んでおいた仕出しの幕の内弁当を受け取り、ご機嫌取りのお高いアイスクリームを買ってやった。
まったく…。たまにはゆっくり酒でも飲むかと出掛けたのに。
おちおち遊びにも出られねぇな。
途中でタクシーを拾い自宅マンションまで帰って来た。
セキュリティ重視で選んだこの建物には満足している。大事なものを仕舞うにはきちんと鍵の掛かる厳重な箱が必要だ。
エントランスを抜けエレベーターで8階へ。
扉が開くとコンシェルジュのいる受付に顔を出し、更に奥にあるエレベーターへと向かった。
3基あるその一番奥の扉をコンシェルジュが押えて待つ。乗り込んで扉が閉まれば、次に開いた時にはもう玄関だ。
「ただいまぁ。 おーい、梓ぁ」
ドタンバタンと喧しい音を立てながら、奥から走って来る足音が聞こえてきた。
「廉さーーーん! おかえりぃーーー!」
「どわっ! ぁ、っぶねえ! コラッ、飛びつくなって!」
飛び付いて抱き着くちんまりした同居人から仄かに香るシャンプーの甘い香り。
よしよし。今夜もちゃんと風呂に入ったな。
「ほら、弁当。 それと、ハーゲンダッツのチョコ、買って来たぞ」
「マジで!? やったー! ありがとう廉さん、大好きっ!」
「おう。 しっかり捕まっておけよ? 両手が塞がってるんだからな」
「うん!」
コアラみたいに抱き着かせたままリビングまで移動する。
もう少し太らせないとな。放っておくとまたガリガリに逆戻りしちまうからな。
「いただきまーす」
「ちゃんと野菜も食えよ?」
飯の前の挨拶。
おかえりとただいまのやり取り。
ありがとうの言葉。
それは俺が全部教えた。
風呂には毎日入る事。
飯は残さず食べる事。
朝昼晩、一日三回歯を磨く事。
まだまだ教えてやらないといけない事がたくさんある。
こいつはまだまだガキだ。そんな日常の些細な事すら教わって来なかった子供だから。
「あ、そうだ梓。 お前ね、通話の声もう少し抑えろ? あれじゃ外まで丸聞こえだぞ」
「ーーーん? なんで? 聞かれちゃまずいの?」
「いや、そんな事はない。 ただ俺の耳が痛い。鼓膜が破れたらどうすんだ」
「はーい。 次は気を付ける」
ーーー素直な所はこいつの美点だ。
定期的に美容院に連れて行っているせいか、くしゃりと撫ぜた髪はサラサラだ。
初めて会った時は骨が浮き出るくらいガリガリだった肩も背中も、ようやくこの頃丸みが出てきた。頬もふっくらとしてきて血色も良い。
背だけは伸び悩んでいるが、コレはもうどうしょうもないな。遺伝的な要素もあるだろう。
「なぁ、梓。 勉強は慣れたか?」
「んー…、まぁまぁ」
梓は今、17歳。
この春から通信制の高校へ通わせている。と言ってもほぼリモート。在宅学習だ。
中学生で親に捨てられ、挙げ句借金の形に変態ジジイの慰み者になるところだったのを俺が拾った。
たかだか200万の端金で人生を売るなんて馬鹿げてる。
『別にいいよ。爺さんの玩具になるくらい、どうって事ないし。 どうせ帰る場所もないんだ。それに飯も食わせてくれるって言ってた』
よくそんな事が言えるな、と思っていたら、どうやら親から相当虐待を受けて育ったようだ。
あのホテルで必死にしがみついてきた、こいつの背中に残る歪な丸い火傷の痕。引っ掻かれたようなミミズ腫れ。処々青黒く変色してる肌。
古い物から新しい物まで、日常的に受けた暴力の痕跡を見たら放っておけなかった。他人とは思えなくて。
俺だって、似た様な境遇だ。
母親からの暴力。ネグレクト。
ある日隣人からの通報で、警察と児童相談所の職員がやって来て保護され、母方の祖父が後見人となり引き取られた。
ーーーー まだ、12歳だった。
母親にはそれ以来会ってない。会いたいと思った事もない。
爺さんは長生きはしなかった。俺が21歳の時に亡くなったが、他に身寄りもなかったおかげで、財産はそっくり俺の物になった。遊ばせていただけの都心の一等地に、ビルを建てる事を思い付いたのはほんの気まぐれだ。
ビルのオーナーってなんかカッコいい。
たったそれだけの子供地味た思い付きで、爺さんの遺産を全て注ぎ込みデカいビルにした。
それは俺の生活を豊かにし、自由にし、やがて自信にも繋がった。
初めはダメで元々。どうせ無かった物だと遊び半分で注ぎ込んだ物が、今の自分を形作る土台となった。
そんなガキの、遊びの延長線上に俺は立っている。だからあの時…ーーーー
『ん〜…、ホント言うとね。 ちょっとカッコイイな、って思っただけなんだ。 ダメ元でもいいや、って』
何で俺に声を掛けてきたのか問い質した答えが、丸っきり俺のそれと同じだった事が決め手になった。
ガキは嫌いだ。
ーーー…けど。
そのガキを食い物にする大人はもっと嫌いだ。
ともだちにシェアしよう!