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第5話
「乗った。」
「本当?嬉しいな!コンビニ弁当生活もなかなかメンタルが削られてしまうんだよねぇ」
照れくさそうにはにかむ榊原の言葉に、んん?と何かがひっかかり、大林はまさかと半信半疑で問尋ねてみた。
「かんたんな料理くらいはできるだろう?目玉焼きとか、サラダとか」
「サラダ?袋のまま入ってる野菜にドレッシングかけて食べることならあるよ?皿洗わなくて済むから、発明した人は天才だよねぇ」
「…………。」
いや、普通はサラダボウルとかに移して食うもんじゃないのか、と思ったが今はいい。
「目玉焼きもね?やろうと思ったんだけど電子レンジじゃなんともねぇ…茹でようとしてもパァンってなるしね?」
「わ、わかった。あんた料理オンチなんだな?」
「オンチ…カラオケは得意なつもりなんだけど、あ!」
「な、なんだ」
何かを思い出したかのように声を上げる榊原に思わずびくつく。なんだか非常に嫌な予感がひしひしと伝わってくるが、言葉の続きを促すと、衝撃的なことを言われた。
「せっかくだから包丁とまな板も買ったほうがいいよね?ラーメン茹でる用の行平鍋しかないんだよね」
もはやキッチン用品を揃えるところからスタートだとは思わず言葉も出なかった。おそらく行平鍋もインスタントラーメンは袋で食べれないから仕方なく、とでも言うのであろう。想像に固くない。
「そもそも、なんでそんな食生活で健康そうに見えるんだ…」
「ありがとう!ジムを欠かさないからかな?栄養も今は点滴とかあるしねぇ」
榊原に対してのイメージが音を立てて崩れていく。これはなんというか最悪だな、と乾いた笑いしか出ない。
そもそも栄養点滴をして働くとはどれだけ社畜なんだ、ともおもったが、収入が多そうな分を考えると忙しい合間を縫って打ちに行っているのだろう。
身なりも小綺麗で仕事に悩みなどないような雰囲気だしな、そうにちがいない。そうでいてくれ。
いかんせんここ迄聞いておいてやっぱり辞めますなどとは言い辛い。
栄養バランスも考えたほうがいいような気がしてきた。そうしないと点滴で補っていた体がぶっ壊れて病院へドナドナをされた途端俺のせいになる未来しかない。
大林は頭を抱えたまま深呼吸ひとつ。
最悪のケースを想像し終えると、よし。と気合を入れ直した。
そもそも迂闊だった自分が引き寄せた妙な関係だ。
ここは男としてケジメをつけなければ。
「まあ、乗りかかった船だと思ってくれると助かるかなぁ。」
「いやだから、あんたが言うなっつの。」
「おやおや失言?ごめんね」
「頭が痛くなるな…」
にこにこと楽しそうに見つめられるとむず痒くて仕方がない。
そもそも榊原に料理ができるなど言った覚えは無いのだが、一人暮らしだからどうせできるんだろうとでも思って提案してきたに違いないだろう。
それに無駄な体力も使わなければ、肉体的負担も少ない。掲示された金額も含めて破格のバイトである。
ひとまず調理器具に関しては別途購入費を経費として申請しよう。まぁ、最低限の器具もないので買い集める時間のロスはあるが。
ある程度の段取りは組めそうだ。飯炊き要員としてのご指名なので、よっぽどのことがない限りはなんとかなるだろう。
なにやら満足げな榊原をみやり、大林はちょっと困らせてやろうかと思った。
「なぁ、そうなると必然とオトモダチと会うのも減るんだけど、それも榊原さんの作戦のうち?」
「うん?まあ遊ぶのも程々にしたらどうかなとは思ってはいるかな。」
何を勝手に、と自己中な意見に大林の眉間にシワが寄る。弱みを握ったなら存分に使えばいいのに、脅す内容は生温く、それでいて受け入れやすいよう言葉で巧みに誘導する。
ずるい大人の典型であれば楽なのに、と苛ついた。
だから大林は、自分が榊原に対してずるい大人のやり方を見せてやることにした。
「なるほど。なら、榊原さんが俺の相手をしてくれるんですか?」
「え、ええ?相手?」
「勿論、榊原さんの提案は飲みます。だけど習慣は変えられないでしょう?」
大林は自分がどう見られるかを理解している。
なので、誘う様にするりと榊原の左でに手を這わせると、そこに存在を主張する銀色のリングに触れた。
「持て余したら、相手してくれるんですか?」
「…なにか勘違いしているようだけど、あくまで僕は雇用主だよ?」
最初は動揺していた様子だったが、意味を捉えると考え込むように下を向く。その表情は覗いしれないが、なんだか主導権を握ったようで少しだけ気分が上がる。
ニコリと笑みを見せ、そのまま指を絡ませさらに煽ってやろうとしたときだった。
「ええ、勿論承知してます。…っ」
不意に這わせた指を絡め取られるようにして手を持上げられた。
今までの柔らかな雰囲気は鳴りを潜め、少しだけ危険な香りをまとう。そのまま大林の手の甲に口付けるように唇を這わせられた。
「雇用主の評価次第では、きみの遊びに付き合ってあげよう。」
ギラリ、とした男の目で見つめられる。この人がこんな目をするとは思わなかった。自分の体が動揺して跳ねたのがくやしい。しかし、その獰猛さを抑えるような様子に大林の身体が期待に震えた。
「は、…期待に答えてみせますね。榊原さん?」
だから、誤魔化すようにたっぷりと煽るように笑ってやった。
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