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第7話
家賃は可愛く無いが、セキュリティのしっかりとした好立地のマンションを出て、目的地へ向かう。
ここに住むことのメリットは、駅から何よりも近いこと。商業施設か近くにある他、下の階に内科が入っているので、体調を崩してもすぐに病院に行くことができる。
そしてなによりもセキュリティのしっかりとした家賃の高いマンションから、身だしなみ最悪な男が出てきても変な目で見られないということだ。
ある程度の信用がないと入居できないということが第一だが、周りが勝手に在宅での稼げる職業に就いていると勘違いしてくれるのだ。
それに気づいたのは仕事帰りに同じフロアに住み、やたらアプローチをしてくる奥様から、弟さんと一緒にお住まいなんですね?などと声をかけられたからだ。
榊原に弟は居らず、なんのこっちゃと戦慄したが、話を聞くうちに自分のオフの日の姿を見たのだと理解した。
そちらのほうが何かと都合がいいので、結局創作関係ですと誤魔化す。男同士で住んでいるという状況もすんなりと受け入れられ(本当は一人暮らしなのだが。)、おかげさまでへんなアプローチをかけられることも少なくなった。
恐らくうちに上がるという一つの選択肢が消えたからだろう。榊原だって好みじゃない熟女、もとい持て余した奥様と火遊びなんかしたくない。ネトラレはすきだがリアルは無理だ。
ただオンオフの切り替えにメリハリがあるだけだが、今日は百貨店の紙袋を携えて帰宅せねばならない。時間のない兄のスーツを変わりに買いに行く体で良いか。などと自分のこととなるととことん雑である。
以前スーツを作ったお店の寸法メモは、無造作にポケットへ突っ込んである。
もはやスウェットを脱ぐのすらかったるい。怠惰なモードの榊原は、とことん何事にもやる気を見せない。仕事はその逆なのだが。
そんなこんなで歩いて10分ほどで目的地についた。
辺りは専門学校や百貨店、家電量販店などが軒を連ねた賑わいのある駅前だ。
美容と服飾関係の専門学校が近くにあるせいか、ファッションに敏感な学生が多く、ガーターベルトで太腿までソックスを釣り上げている女の子を見て、世の中の若者は下着を見せる時代なのか、と驚愕したのは記憶に新しい。
百貨店に入り、紳士服フロアへ向かう。エレベーターに乗り込む自分を胡乱げに見やるご婦人がいるが気持ちはわかる。手ぶらで寝間着の不審者とこんな密室になればたしかに身構えるだろう。
チン!と軽快な音を立て両扉が開き、買う物も決まっているので何も考えずに目の前のブランドに入った。
選ぶなんてことはしない。強いて言えばエレベーターを降りてすぐ目の前のマネキンがスーツを着てたからである。
「いらっしゃいませ」
まさかうちにくるとは、と言うような目で見られたが、さすがはプロである。見事にほほえみに切り替えて出迎えてくれた。少しハスキーの小柄な青年だ。青味がかった黒髪が前下がりに整えられ、しゃんと伸ばされた背筋もあいまって、なんとなくバトラーっぽいなと思った。
「これで。」
「ありがとうございます、ご試着室へご案内いたしますね。」
たまたま青年が手に持っていたスーツを指差し、無言でメモを、差し出した。
「ここにある寸法と同じのください。」
「はっ…あ、ご、ご試着はよろしかったでしょうか?」
「サイズなければ、あるもので。」
「え、は、確認してまいります。」
深く追求せず、動揺しながらもワケアリだと思ってくれたのだろう、すぐさま対応してくれた青年に若干申し訳なく思う。
普段ならきちんと接客を受ける余裕もあるのだが、榊原は本来連休だったのだ。それが、明日急遽入った仕事により先延ばしになり、スーツすらない。そして明日、ぎりぎりまで愚図る時間が欲しいので、青年には申し訳なく思ったが自己を通させて貰うことにした。
「お待たせ致しました、ご用命のおサイズと同じものですが、こちらのスーツで対応できそうです。ジャケットのみでもお試しはされませんか?」
「うん。…じゃあ」
持ってこられたネイビー、ブルーグレー、グレーの3着はどれも上質な生地だった。タグを見るとグレーが一番価格のグレードが高く、パーティーにいくならこれぐらいかと思い、持っていなかったその色にすることにする。
青年は、まさか一番高いものになるとは思っていなかったようで、修理の伝票を記入する際も万が一を含め再修理を無償で行うことを約束してくれた。
裾上げすらも仕上がりの確認をせずに受け取って帰ろうとしたところ、真剣な顔で名刺を渡される。
大林 梓
そう書かれた名刺の裏には、青年が休みの日のシフトが書けれており、何かあれば事前連絡の上ご来店ください。責任もって対応致します。と左上がりの文字で書かれていた。
律儀すぎる気もしたが、なんだか先程までのやる気のない気持ちが少し持ち上がり、気分が良くなる。
普段自身が相手のことを考え先回りしたりする分、彼のお客様第一主義がなんとなく擽ったかったのだ。
業務外ではあまり他人に対して興味を持つことはしないが、大林のピアスのホールを見たときに、無性に惹きつけられるものを感じたのだ。
この子には表と裏がある。俺と同じかもしれない、と。
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