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第8話

印象に残ったあの日から幾日がたっただろう。あれから何回か店を覗いてみたが、タイミングが悪くなかなか会えずにいた。 最初の時のオフ丸出しでの姿を彼に見られている分、普段は違うんだよ、と挽回の機を狙っていたのだ。 人混みに流されるようにして電車から降りる。 急に決まった出張の帰り、救いなのは一泊のみだったので荷物が少ないことだけだ。 急いで購入したスーツは色合いも気に入っていた。普段選ばないグレーカラーではあったが、彼が持ってきた色はどれも上品で自身の好みであったし、もってない色を購入したがなかなかに似合っていると思う。 胸元に指したボルドーのチーフは勝負の色だ。差し色としてのアクセントでもあるが、印象に残るようにとこの色にした。 人間大切なのはやる気である。常々そう思う。 がやがやと忙しない人混みの奔流は、榊原を避けるように流れて改札の向こうに排出されていく。 このまま会社に戻るか、直帰して翌日出社するか悩みつつ、改札を出たその時だった。 若い男二人がなにやら柱の影で言い争っていた。普段ならそのまま無視して去るのだが、なぜだかその日はやけに気になった。 そして既視感を感じ、さり気なく近づいて片割れを見る。 全身黒のシンプルな服装に、耳元を飾るピアスはじゃらりと連なっていて痛そうだ。黒のモッズコートから覗く細い首に小さな顔。全体的に靭やかな体と、中性的な容貌に、はっとした。 あの子、この間の店の子だ…。 接客の時とはまったく雰囲気がちがったので、一瞬わからなかった。丁寧だった彼が、けだるげな様子であしらっていた。絡まれているのだろうか? 仲裁に入るべきか?でも、迷惑だろうか。彼もプライベートだろうし、ここは黙って去るべきか。 榊原が様子を伺ううちに、立ち止まる人が増えてきた。このまま立ち止まり続けるのも気付かれたときにき不味いか、とその場をさろうとした時。 「おまえぇぇえ!!」 逆上した男が声を荒げた瞬間、不味いと思った。 気がつけば一歩踏み出し、そのまま彼を庇うように拳を鞄で受け止めていた。 「…あ?」 ぐっ、と掴んだ腰の細さと、来るであろう痛みに耐えるように瞑られた瞼がゆっくりと開いたとき、 薄茶の瞳に引き込まれるように見つめ返した。          大林はなんでもそつなくこなす割には不器用な男だった。 本気で迫られると弱く、慌てて逃げるように音信不通にするので、おそらく恨みもかっていると思っている。 ただ用心深いので遊ぶ相手は捨てアカで知り合い、会う場所も地元から2時間も離れた場所でヤッたらおしまい。 お互い割り切った関係でやり取りをしているはずなのに、偶にのめりこもうとする輩がいる。 大林いわく、本当に勘弁してほしい。 「お前、俺のことは遊びだったのか!?」 「えー…ちょっとまじで勘弁してよ、そもそもそういう話だったじゃん…」 「お前だってさんざん楽しんだだろ!?なら俺を本命にしてくれたっていいじゃないか!!」 「本命とかいらないんでまじで。」 そもそもショートメールでのやり取りを数回、会うのは今日が初めてでなぜここまで求められるかもわからない。 そもそも、ノンケだが男も行けるか試してみたいと遊び半分で連絡してきたくせに、いざ寝てみればこうか。と、今回は外れだったなとため息が出る。 もうこいつの顔も見たくないしセックスも雑でつまんなかった。早く終わってほしくてあんあん言ってやったがまさかここまで引き止められるとは思わなかった。 「大体、おまえだってあんなに良さそうだったじゃないか!俺たちはきっと体の相性が良いんだ!これから体以外も少しずつ知っていけば、」 「あのさぁ、お前が初めてだからこっちは気を使ってやったの。ただお前が勝手に盛り上がって終わっただけ。演技もわかんねーようじゃ女とヤッても騙されて終わりじゃね?」 「なっ…ん!!!おまぇええ!!」 あ、やべ。と思ったが、もうおそい。 さんざん煽っといてなんだが痛いのは嫌だし、接客業なので顔に傷がつくのも勘弁してほしかった。 男は興奮のまま大きく振りかぶり、完全に顔面狙いである。 このまま避けても良いが、ここで殴られておけば丸く収まるなら、一発くらい甘んじて受けようか。 打算もあるが衝撃も和らげようと、男の拳が掠めそうになったタイミングで、さも殴られましたと言わんばかりに倒れてやろうと足の力を抜いた瞬間だった。 「おっと、大丈夫?」 持っていたビジネスバッグで男の拳を受け止めた見知らぬ男性が、まるで支えるように大林の腰を抱いていた。 「あ?」 「な、なんだてめぇ!!!」 謎の人物の登場に狼狽えたのは大林だけではなく、殴りかかろうとした相手も慌てて後退る。 痛そうに拳を振る様子から見て、なにか硬いものでも殴ったのだろうか。 「いやぁ、すみません。俺の弟が殴られそうになっていたので、つい…」 「お、弟!?てめぇそいつのアニキか!!」 「うぐ、」 一体何の話だと口を開きかけ、頭を掴まれそのまま勢いよく下げられた。 なんだか訳がわからないまま頭を強い力で押さえつけられ、顔を上げたくてもあげられない。先程殴ろうとしてきた男のつま先だけが視界に入る。なんなんだこの状況。 「うちの弟が貴方に粗相をしたのでしょう?何分親代わりに育てたもので、何かと不自由な思いをさせたぶんすれてしまいまして…ほら、お前も謝りなさい。」 「おま、っ」 お前みたいな兄貴なんていませんけど!!と叫びたかったが、ミシッといいそうなくらい頭を掴む指先に力を込められ、無理やり閉口させられた。

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